ボクサー

1998/03/20 UIP試写室
刑務所から釈放された元IRA兵士と、元恋人との愛の行方。
真面目にじっくり撮られた社会派ドラマ。by K. Hattori



 北部アイルランドで今も続く、IRAとイギリス軍の対立を背景に、刑務所から14年ぶりに出てきた元IRA兵士の男と、彼を待つことなく結婚した元恋人のその後を描くラブストーリー。監督・製作・脚本は『マイ・レフト・フット』『父の祈りを』のジム・シェリダン。出所してきた元IRA兵士ダニー・ブリンに扮するのは、シェリダン監督作品の常連俳優ダニエル・デイ=ルイス。その元恋人マギーを演じているのは、『奇跡の海』のエミリー・ワトソン。ここ何年か、アイルランド紛争の歴史的背景や今日の姿を描いた映画が何本も公開されていますが、この映画はそんな「アイルランドもの」という山の中に埋もれず、観客の心にしっかりと強い印象を残す作品になっていると思います。

 将来を嘱望されるボクサーでありながら、IRA兵士として抗争に参加し、逮捕され、刑務所で14年を送った男。逮捕されたとき19歳だった男は、32歳になっている。青春のすべてを、刑務所の中に置いてきたような形だ。逮捕前に付き合っていた恋人は、当時16歳。今は別の男と結婚して子供もいるが、夫はIRAの兵士として刑務所に服役中だ。そこに昔の恋人が帰ってくる。14年ぶりに会ったふたりが、少しずつ言葉を交わして行く様子がじつにリアルに描かれている。

 IRA兵士にとって服役は一種の名誉です。残された妻は周囲の人々に支えられながら、夫の帰りをひたすら待ちわびる。それがIRA流の夫婦のあり方であり、モラルなのです。ダニーの登場は、夫を待つ立場であるマギーの心に小さなさざなみを立てる。じつはふたりは、まだ愛し合っているのです。

 ダニーが14年の時を取り戻すように、ひたむきにボクシングに打ち込む姿が、「引き裂かれた恋人同士の悲恋」という月並みな物語を、決して月並みでないオリジナルの物語に変えています。1957年生まれのデイ=ルイスは、32歳という役の年令より随分と年配ですが、ボクシングの特訓で鍛えた肉体と試合場面の迫力は、十分物語に説得力を生み出している。試合の場面は3つ用意されており、それぞれに開場の風景がガラリとかわるなど、見た目の工夫がなされているのが嬉しい。

 平和で平凡な生活を望みながら、周囲の思惑からそれを許されない主人公の姿が痛々しく感じられました。登場人物はどれもよく練られていて、どの人物にも陰影の濃い立体感があります。特にマギーのキャラクターは、じつに複雑で難しい役どころだと思うのですが、脚本の書き込みも的確だし、演じているエミリー・ワトソンも好演して、魅力的な女性像に仕上がっている。ふたりの「14年」がぶつかりあうダニーの部屋の場面は、この映画のひとつのクライマックスだと思います。

 昨日まで敵だった警察からの寄贈品を、受け取るか否か……、という場面があります。「みんな仲良く」という単純な理想主義者は、ここで迷いはしないのでしょうが、善意が憎悪を生み出すこともあるのが現実なのです。

(原題:THE BOXER)



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