水の中のナイフ

1998/03/05 東和映画試写室
同じヨットに乗りあわせた倦怠期の夫婦と青年の物語。
ポランスキー監督の長編デビュー作。by K. Hattori


 ロマン・ポランスキー監督が、1961年にポーランドで撮った長編デビュー作。湖に浮かんだ小さなヨットの中で、倦怠期の夫婦とヒッチハイク青年の3人が織り成すドラマです。愛憎入り混じった夫婦関係とその破局が、じつに丁寧に描写されていています。ヨットの中で乗り合わせた人間たちの関係が凝縮して行く場面は、前年のフランス映画『太陽がいっぱい』に似ています。1組のカップルと、その世話係の青年という人物配置も同じ。たぶんポランスキーは、アラン・ドロンが主演したこの大ヒット作を、大いに参考にしたことでしょう。

 車の中の夫婦のツーショットから映画が始まりますが、このオープニングだけで、ふたりのギクシャクした関係がわかる作りになっています。狭い車内で、互いの肩が触れ合うことすら疎ましく思えるような関係。時折相手に刺すような鋭い台詞を投げつけ、顔色ひとつ変えないほど醒めている仲。夫婦の関係が「冷めた」わけではない。恋の情熱が収まり、刺激的な新婚生活の思い出も薄れ、結婚という夢から「醒めた」のです。愛だの恋だの、浮ついた言葉は生活の中から消え、残っているのは相手に対する儀礼的な愛情表現の「仕種」だけ。

 ふたりは週末の小旅行に、湖でヨット遊びをするつもりです。途中でヒッチハイクの青年と出会ったことがきっかけとなり、ヨットには青年も乗り込むことになる。辛うじてバランスを保っていた夫婦の関係は、この青年を触媒として、大きく変化して行く。倦怠期の夫婦と危険な青年という三角関係は、間もなく封切られるフランス映画『ドライ・クリーニング』にも登場していました。おそらく『ドライ・クリーニング』には、『水の中のナイフ』に触発されている部分があるはずです。『太陽がいっぱい』から『水の中のナイフ』を経て『ドライ・クリーニング』へ……。映画というのは、こうして過去から現在へとつながっているのです。

 ヨットの中という、外界から隔絶された一種の密室状態の中で進行するドラマですが、それだけでは映画としての面白さがない。この映画で一番面白く、緊張する場面は、泳げないという青年をヨットに残して夫婦が湖で泳いでいると、突然風を受けてヨットが湖面を滑り出す場面です。ヨットはかなり沖に出ているので、そこでヨットだけがどこかに行ってしまうと、夫婦は湖のど真ん中で溺れるしかありません。青年はヨットの操作ができないので、船は右に行き、左に行き、Uターンし、また直進する。泳いでいたふたりは慌ててヨットを追いますが、風を帆にたっぷり受けて走るヨットにはなかなか追いつけるものではない。この場面で観客の多くは「死」を意識します。それが終盤への複線になる。

 倦怠期の夫婦の間に外部から第三者が入りこむことで夫婦関係が完全に破綻するという物語は、今回ポランスキー特集で観た1966年の『袋小路』で再び取り上げられるテーマです。車の中から物語が始まるところまで同じ。デビュー作にはその作家のすべてがあるのです。

(原題:Noz w wodzie)



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