堕ちてゆく女

1998/02/13 日本ヘラルド映画試写室
愛し合っているからこそ、恋人に殺されてしまった女の悲劇。
恋愛とセックスの難しい関係……。by K. Hattori



 「恋はその作用の大部分から判断すると、友情よりも憎悪に似ている」「女を愛すれば愛するほど憎むのと紙一重になる」と述べたのは、17世紀フランスの武人、ラ・ロシュフコーだった。この映画は、そんな彼の言葉を裏打ちするような、男と女の愛憎劇を描いている。この映画に登場する恋人たちは、ラ・ロシュフコーの言う恋と憎しみの紙一重の差を、最後の最後に踏み越えてしまう。女は口汚なく男をののしり、男は彼女を殺す。だがふたりが強く愛し合っていたことも、また事実なのだ。当然のように、この作品はフランス映画。こうした愛と憎しみの二面性というのは、ラ・ロシュフコーの時代から一貫してフランス人の中に刷り込まれた感性なのかもしれません。アメリカ人はもっと単純だから「愛していたら殺すはずない」と考えそうだし、日本人は「うっとうしいから別れてしまえ!」とイライラしそう。

 この映画は「若い男性が年上の愛人に乱暴し、ナイフで身体の数十ヶ所を刺して殺す」という、実際に起きた事件から発想されたそうですが、借りているのは事件の結末だけで、人物の設定やエピソードは映画のオリジナル。最後に殺される女医フレデリックを演じているのは、イザベル・ルノー。年下の愛人クリストフを演じるのは、フランシス・ルノー。(このふたりラストネームが同じですが、別に夫婦とか姉弟とか親戚ではないようです。)監督・脚本のカトリーヌ・ブレイヤは、監督3作目の『ヴァージン・スピリト』が10年近く前に日本でも公開されているようですが、僕はまったく知らない人でした。'76年に監督デビューし、本作が5本目の長編作品ということですから、もうベテランですね。

 映画の前に受け取ったプレス資料には、「セックスより深い関係」「まさにセックスの解剖学」「セックスの快楽の中にしか人生の充実を見出せない孤独な中年女性」「大胆な性描写やセックスに関するあからさまな台詞のやりとり」「人間のセックスの本質を抉る」など、きわどい文句が並んでおり、映画の冒頭で主人公たちの関係が「死」という悲劇的結末を迎えることも予告されているので、これはフランス版『失楽園』みたいな話かと思いました。つまり、セックスの向こう側にある何かを、この映画がつかみ出そうとしているのではなかと期待していた。ところが実際の映画には、極端にきわどい性描写はありませんし、セックスそのものについての考察もなされていない。むしろごく当たり前な、恋愛の悲喜劇を描いているように感じます。

 ヒロインのフレデリックが、若い恋人との関係にセックス以上の充足感を感じているにも関わらず、最後は彼のセックスの拙さや幼さを馬鹿にした言葉を吐き捨てながら死んで行く。彼女がセックスに込めた思いは、「私を愛してほしい」ということだったのでしょう。身体だけが目的の男を軽蔑しながらも、身体を求めてこない男に対してはさらに過激な罵倒の言葉を浴びせてしまう。これも愛しているがゆえなのでしょうが……。

(原題:PARFAIT AMOUR!)



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