オスカー・ワイルド

1998/01/27 日本ヘラルド映画試写室
小説家オスカー・ワイルドが男色の罪で投獄された実話を映画化。
ワイルドの恋人を演じたジュード・ロウに注目!。by K. Hattori



 小説「ドリアン・グレイの肖像」や童話集「幸福な王子」、戯曲「サロメ」などで知られるイギリスの作家、オスカー・ワイルドの伝記映画。19世紀末、ビクトリア朝時代のイギリスで、同性愛の作家がいかに戦い、傷つけられたかを、力強いタッチで描いて行く。主人公ワイルドを演じるのは、ケネス・ブラナーの『ピーターズ・フレンズ』で主人公ピーターを演じたスティーブン・フライ。そういえば、ピーターもゲイという役どころでしたっけ。この人、身体が大きくて、顔もでかい。それでいて、芝居がじつに細かいんです。主人公の繊細な心理を、じつに巧みに表現する。うまい役者です。

 僕はオスカー・ワイルドという人物が、こんなに激しい後半生を送った人だとは知りませんでした。彼は30歳過ぎまで、自分が同性愛者だと自覚することなく生活し、結婚して子供をもうけ、作家としても成功し、幸せな結婚生活を築いていた。ところがそんな彼を尊敬するカナダ人の青年と親しくなり、自分自身の同性愛傾向に気づいてしまう。これが彼にとって、大きな幸福であり、不幸でもあった……。この映画のワイルドは、自分自身の快楽を徹底的に肯定する人として描かれます。だから彼は、世間が彼と男友達の間をどう噂しようと、家族がどう思おうと、そんなことは気にしない。妻や子供に対する愛情は変わらないし、友だちとの友情にも変化はない。むしろ彼は、自分の新しいセクシャリティと向き合うことで、芸術家としての新境地を開いた。彼の不幸は、当時のイギリスに同性愛を処罰する法律があったことです。彼は同性愛者だという理由で、警察に捕らえられ、裁判にかけられ、懲役2年の実刑判決を受ける。

 この映画は、同性愛そのものに対してはすごく優しい。でも同性愛だからといって、それを国家権力が法的に罰するのは、個人のプライバシーに対する干渉だと言いたいのでしょう。オスカー・ワイルドは、それによって潰されたと……。でも、僕はこうした解釈は、少し一面的すぎるような気がしますし、映画を薄っぺらなものにしてしまったような気もする。当時の社会の中にあった、同性愛に対する拒絶感や嫌悪感を、もっと映画の中に取り込んでほしかった。そうしてこそ、それに屈することなく自分の芸術を作り上げた主人公の大きさがわかるし、人々の差別意識の延長上に、それを裏打ちする形で法律があるのだということが象徴的に描けたはずです。

 全体的によくできた映画だと思うのですが、主人公ワイルドと、運命的な恋人ボジーの関係が、いまひとつスッキリと伝わってこないのは欠点でしょう。ワイルドがボジーに恋していることはわかるんだけど、ボジーはワイルドをどう考えているのだろう。このあたりは、ボジーという役に対する、役者や演出家の「解釈」がほしいところだ。ここにもう少し厚味が出れば、この映画はもっと面白くなったし、ある種の悲恋物語としての味も出てきたと思う。これに比べると、最初の恋人ロバート・ロスはうまく描けてました。

(原題:WILDE)



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