七人の侍

1998/01/02 大井武蔵野館
三船敏郎の追悼も兼ね、平成10年の正月はこれでスタートだ!
いつ観ても、何度観ても面白い映画です。by K. Hattori



 アクションといいドラマといい上映時間といい、やはりこれが黒澤明の最高傑作ということになるんでしょうね。僕自身はこの映画より『用心棒』や『椿三十郎』の方が好きなんですが、娯楽映画の究極の姿が芸術映画になっているという点で、『七人の侍』は紛れもなく世界の映画史に残る傑作でしょう。『用心棒』や『椿三十郎』はあくまでも娯楽映画だし、『七人の侍』を西部劇に翻案した『荒野の七人』も娯楽映画ですからね。映画を娯楽と芸術に分けるのはあまり意味がないとは思うんですが、映画ジャンルとして「娯楽映画」と「芸術映画」という区分はやはり歴然とあると思う。『七人の侍』の凄さは、その両方のジャンルに両足を突っ込んで、しかも平然と立っていることです。

 僕はこの映画をもう何度もスクリーンで観ていますが、血沸き肉踊るアクションシーンの興奮を、あまり味わったことがありません。確かにクライマックスの乱闘シーンは凄いんですが、何度も見ていると細部にばかり気が行ってしまって、純粋にはアクションを楽しめない。この大乱闘は泥臭いリアリズムで、『用心棒』や『椿三十郎』のようなチャンバラ名人芸を見せていないし、『蜘蛛巣城』のラストのような様式美もない。かといって血と泥の臭いのする凄惨な描写に走るかというと、その直前で止まってしまう。もっともこうした混沌とした状態そのものが、『七人の侍』の乱闘シーンの醍醐味なのかもしれません。乱闘場面では素早いパンを何度も使っていますが、画面サイズがスタンダードなのが恨めしい。この映画をカラーにしろとは言わないけれど、これがシネスコだったらとんでもない迫力だったでしょうね。

 細かいところが気になるというのは具体的にどんな点かと言えば、例えば、女たちが隠れている小屋に押し入ったのは野武士の頭目の他にもうひとりいたような気がするんですが、頭目は菊千代に刺されて、もうひとりは裏口から逃げます。その逃げた野武士のゆくえを描かないまま、「野武士はもうおらん」という台詞が出てくるのがすごく気になる。これはもともとのシナリオでは、きちんと残りの人数を数えて「残すはひとり」とやっているんですが、現場で変わったみたいです。あと、これは撮影技術や編集の問題になるのですが、宮口精二扮する久蔵が、馬上の野武士に3メートル位の間合いがあってもぶんぶん刀を振り回すのが目に入りました。あれは久蔵と野武士が重なる位置で望遠レンズで撮影すると、ちゃんと刀が届くように見えるんですが、横から見ると「久蔵ともあろうものが……」って感じに見えます。

 この映画ではいつも必ず泣いてしまう場面があって、今回もやっぱり泣きました。米を盗まれた与平が、木賃宿の床に散らばったわずかな米を、震える手で一粒ずつ拾い集める場面と、村に行くのを渋る勘兵衛たちに、人足のひとりが食って掛かる場面は絶対に泣ける! 僕は他のどんな名場面より、こうした何でもない場面が好きなのです。この映画には、そんな場面が数多くあります。


ホームページ
ホームページへ