緑の街

1997/12/01 シネカノン試写室
小田和正の監督第2作は、『いつか どこかで』製作うらみ節。
演出に余裕がないから洒落にならない。by K. Hattori



  シンガーソングライターの小田和正が'91年に初監督した『いつか どこかで』の汚名を返上すべく撮った、監督作第2弾。僕は劇場で『いつか どこかで』を観ているんですが、特別「ひどい!」という印象は残ってません。毒にも薬にもならない物語ですが、ストーリー展開に合せて小田和正の音楽がピッタリとかぶさり、これはこれでひとつの世界を作ってました。製作意図もその辺にあったんじゃないかと思います。ただしこれは全国で大々的に公開して、広く一般の観客に観せる映画ではなかった。あくまでも小田和正の音楽が好きな層に、限定して観せれば問題なかったのに、なまじ大手の興行網にのったために風当たりが強くなってしまったのだと思います。小田和正が今回の『緑の街』を、コンサートと同じように全国で少しずつ上映していったのは、ひとつの興行のあり方として正しいと思います。

 今回の映画は、あまり出来が良くないのが残念。売れっ子ミュージシャンが映画製作に乗り出し、現場の抵抗や軋轢を乗り越えて無事1本の映画を仕上げるという、ほとんど自分の体験談をなぞるような物語になってます。素人監督が現場でボロクソにこき下ろされる様子は非常にリアルなのですが、これを監督第2作目に撮るのは、ちょっと洒落がきつすぎるような気がするぞ。映画製作の内幕をテーマにするにしては、小田和正にはキャリアが足りず、この手のテーマを扱うにあたって絶対に必要な余裕やゆとりが感じられない。僕はこの映画を観ていて、監督が1作目撮影の時に味わった苦労をしのび、気の毒だなぁと思ってしまった。さらに気の毒なのは、その体験を次の映画作りの中で生のまま吐き出してしまわざるをえないほど、彼が最初の映画作りで深く傷ついていたこと。小田監督は自分の体験を「作品」としてフィルムに定着することで、自身のトラウマから逃れたかったのでしょう。う〜ん、悲惨すぎるなぁ。

 この映画の主人公は、映画作りを通して、自分の過去の恋愛を償おうとする。映画の中のカップルに自分の体験をなぞらせることで、自分が出来なかった何かを達成しようとする。この発想が『緑の街』を作らざるを得なかった小田和正の気持ちにダブってくる。

 門外漢の監督がデタラメな演出を押し通し、その結果撮影現場が大混乱するという物語です。このパターンの映画にはMGMミュージカルの傑作『バンドワゴン』というお手本があるのだから、この映画もそれと同じ構成にすればもっと観られるものになったはずです。『緑の街』の欠点は、監督が現場で犯した失敗が、実際のフィルムに何ら反映してこないこと。照明スタッフが「お天道様がふたつになる」と言ったら、その後には実際に影が二重になった「絵」を見せなきゃいけない。スクリプターが「つながりません」と言ったら、その後にはつながっていない「絵」を見せなければならない。このあたりは、『エド・ウッド』なども参考になるんだけどなぁ。メリハリがない映画で、ちょっと退屈してしまいました。


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