ドーベルマン

1997/11/27 イマジカ第1試写室
ラストシーンまで駆け抜ける猛烈なスピード感が、観る者を興奮させる。
壮絶な暴力描写の積み重ねにも美意識がある。by K. Hattori



 リュック・ベッソン監督の『ニキータ』を観たとき、「こりゃアメリカ映画だ!」と思いましたが、今回ヤン・クーネン監督の『ドーベルマン』を観たときは「こりゃアメリカ映画以上だ!」と思いました。とにかく全編を覆いつくす鮮烈なバイオレンス描写の数々。降りしきる銃弾の雨、飛び散る肉片の渦、凄まじい爆音とノイズ、そして神父の祈り声。洗練された暴力に対し、狂った暴力で対抗する修羅場。血で血を洗うどころの騒ぎじゃない。床を埋めた肉片を踏みしめながら、地の海をのた打ち回るスーパー・バイオレンス。これは今のアメリカン・メジャーじゃ、絶対に描けない世界です。アメリカは興行のレイティングがありますから、絶対にもっとマイルド暴力描写に抑えられてしまうでしょう。さらに「悪対悪」という対立を避けて、「善対悪」というありふれた映画にするでしょう。それがアメリカ人の考える「正しい映画」の姿なのです。でもフランス人は違う。

 タイトルの『ドーベルマン』というのは、ヴァンサン・カッセル演ずる凶悪な強盗のコードネームです。彼は幼児洗礼式の日に拳銃を握ったという、生まれながら悪党になることを運命づけられた男。ロケットランチャー内蔵のマグナム銃を片手に、現金輸送車を襲い、銀行を襲撃し、警官隊相手に大銃撃戦を戦います。その恋人ナットは、聾唖の爆弾エキスパート。演じているのは、モニカ・ベルッチ。このふたりは『アパートメント』の時のコンビではないか! うひ〜、こりゃたまらんなぁ。

 さらに嬉しいのは、ドーベルマンを執拗に追いかける鬼刑事クリスチーニの存在。この刑事が完全に狂ってまして、ドーベルマン逮捕のためなら警官が何人射殺されようと、民間人にどれだけ巻き添え被害が出ようとお構いなし。ドーベルマンの仲間やその家族は、人間じゃないと思っているような奴。警官としてのモラルを捨て去り、ひたすらドーベルマン抹殺のためだけに生きているような男だ。演じているのはチェッキー・カリョ。『ニキータ』で鬼教官を演じ、『バッドボーイズ』で冷酷な犯罪者を演じていた俳優です。悪徳警官を描いた映画は無数にありますが、おそらくこの映画のチェッキー・カリョは、そのトップに君臨することでしょう。

 この映画には悪党しか出てきません。しかし主人公ドーベルマンは「愛すべき悪党」であり、それを追うクリスチーニは「かわいげのない悪党」なのです。どちらがモラリストだとか、どちらに正義があるなんてことはない。強いて言えば、ドーベルマンは仲間を大切にする頭目だが、クリスチーニは仲間の警官たちを平気で裏切る人でなしだという違いがある。この違いはでかい。

 スタイリッシュな映像、短いカットを印象的につないだ編集リズム、スピーディーなカメラワークなどが気持ちいい。雰囲気としては『デリカテッセン』『ロスト・チルドレン』のジュネ&キャロの映像に通ずるものがある。クーネン監督、マルク・キャロと仕事をした経験もあるとか。なるほど、ルーツは同じなのだね。


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