ユリーズ・ゴールド

1997/11/19 シネセゾン試写室
ピーター・フォンダの名演が光るヒューマンドラマ。
崩壊した家族が再生する姿に感激。by K. Hattori



 ピーター・フォンダが、孤独な老養蜂家・ユリーを演ずるヒューマンドラマ。ユリーは妻の死と息子の非行から崩壊した家庭の中で、残された二人の孫娘たちとつましく暮らしている男。彼のもとに刑務所の息子から電話があり、娘をユリーのもとに残して出ていった自分の妻を助けてほしいという。気が進まないまま、それでも息子の嫁を家に引き取るユリー。これがきっかけになって、ユリーは息子の起こした現金盗難事件の共犯者たちに狙われることになる……。

 孫たちを手元に置きながらも、自分の仕事を決して手伝わせようとしないユリー。彼は自分だけの世界に引きこもっている。誰も仕事に触れさせないのは、彼なりのゆるやかな拒絶なのです。町の人たちともできるだけ接触を断ち、世間から孤立することの中に、自分自身の安らぎを見出そうとするかのような態度。彼がそうした生き方しかできないのは、彼自身の心が深く傷ついているから。他人が触れれば今でも血が吹き出しそうな生傷が、彼の心にはくっきりと刻まれているのです。

 ユリーが救い出したヘレンは、孫たちにとっては母親だけど、ユリーにとっては赤の他人。彼女の夫は刑務所にいて、しかもユリーとの仲は険悪そのもの。孫たちも、幼いときに別れたきりの母親との再会に戸惑っている。何しろ、母親の顔すら覚えていないのです。でも結果として、ヘレンを家に引き取ったことでユリーは少しずつ変わってくる。バラバラになった家族が、少しずつひとつにまとまってくるのです。

 養蜂の仕事を、孫娘たちに少しずつ手伝わせるようになるユリー。やがてそこにヘレンもまざり、一家総出の養蜂業となります。このあたりは台詞で何も説明しないのですが、せっせと体を動かす人物の動きだけで、ユリーの心の変化を映し出す。また、通りの向かいに住む看護婦コニーとの交流も、映画のひとつの柱として物語を支えています。ユリーとコニーとの関係を、単純に「大人の恋愛」などという枠でくくることなく、「人間同士の信頼関係」として描いているのがいい。家族とのつながりも同じ。ここに描かれているのは、血のつながりより大切な、人間同士の心の絆なのです。

 主人公を養蜂家に設定したアイデアが素晴らしい。蜜蜂は人間の世話なしには生きていけない生物です。巣箱をトラックで移動するなど、まるで植物のようなところがある。一方で蜜蜂は動物としての能動性を兼ね備えているわけで、そのふたつの要素が、主人公の心の動きとオーバーラップしているようにも見えました。

 監督・製作・脚本のビクター・ヌネッツが、たまたま目にした養蜂家のニュース写真にインスピレーションを受けて作った映画だといいます。登場するキャラクターがじつに生き生きとしていて、個別の体臭まで感じられそうなぐらい。中心の人物だけでなく、保安官など脇の人物までが、じつにていねいに演出されていて感心します。しっとりとした、いい映画です。


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