G. I. ジェーン

1997/10/13 丸の内ピカデリー1(試写会)
リドリー・スコットの最新作はデミ・ムーア主演の軍隊物だが内容はイマイチ。
この手の映画は弟トニー・スコットの方が上手そう。by K. Hattori



 デミ・ムーアのスキンヘッドが話題のリドリー・スコット最新作ですが、僕はあまり感心しなかった。海軍特殊部隊の凄まじいスパルタ式訓練の中に女性がはじめて参加して、次々落伍して行く大男たちを尻目に最後までがんばり抜くという話。これに政治的な駆け引きなど、脇のエピソードを加えて社会性を出そうとしてますが、どうにも焦点がぼけてます。そもそも、映画に新鮮味がない。軍隊の非人間的とも言える猛烈な訓練ぶりについては、キューブリックの『フルメタル・ジャケット』という前例がある。これに比べると、『G. I. ジェーン』の訓練風景はまるでスポーツの特訓だ。映画の終盤、最終訓練で出かけた海外で実戦に遭遇するという展開は、トム・クルーズの大ヒット作『トップガン』(監督はリドリー・スコットの実弟トニー・スコット)と同じではないか。軍隊における女性差別や、それを食い物にしている政治家の実態描写などに意欲は感じますが、物語の中で芯のエピソードとしてこなれていない。結局、デミ・ムーアのがんばりだけが印象に残る映画になった。

 物語がいまひとつ盛り上がらないのは、繰り返される訓練の過酷さがいまひとつ伝わってこなかったからです。「男ですら6割が脱落する過酷な訓練」を、スクリーンの上でそれなりの説得力で描き出さねばならないのに、リドリー・スコットの絵作りからは汗やほこりや血の臭いが感じられない。繰り返される訓練に登場人物がへとへとになる頃には、観客もへとへと気分にしてくれないと、大の男が涙ながらに脱落の鐘を鳴らす場面に納得ができない。デミ・ムーアが涼しい顔しているのに、なんで男たちが次々脱落するのか疑問に思ってしまうのです。

 盛り上がらない理由の第2は、デミ・ムーアの女性としての苦悩(苦労)が、映画の中心から少し離れてしまったこと。この映画のコピーは「彼女は、そして、女性を超えた。」ですが、軍隊と女性というこの映画の大きなテーマが、途中から薄まってしまいました。主人公のぶち当たる壁が、「女性差別から生まれた壁」「女性に対する偏見が生んだ壁」である点は説明されているのですが、演出のポイントがそこから外れているんでしょう。これでは「女性ゆえの苦労」なのか「新兵は誰しも通る道」なのかがわからない。こうして「訓練の過酷さ」と「軍隊と女性問題」が弱くなった映画は、まるでドラマが骨抜きになってしまうのです。

 リドリー・スコットの映画は、いつでも観客をアッと驚かせる映像がひとつは必ずあるのですが、今回はクライマックスの戦闘シーンで見せた、ズームレンズを使った撮影にビックリさせられました。弾着や爆発、ロケット弾の発射などに合わせて、レンズを高速かつ小刻みにズームさせるのですが、最初はかなりのインパクトがありました。登場人物の視線の動きや、極度のストレスによる視野狭窄を、こうした形で表現する方法があるんですね。爆発に合わせてズーミングを何度も繰り返すあたりは、谷啓の「ガチョーン!」を連想しましたけど……。


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