悪名太鼓

1997/08/15 銀座シネパトス2
悪名コンビの朝吉と清次が、敵味方に別れて殺し合い?
昭和39年製作のシリーズ第9作。by K. Hattori



 朝吉と清次が敵味方に別れて対立しつつ、最後には悪いやくざを壊滅させる物語。話のポイントは、いかにしてふたりを反目させ、敵と味方に袂を分かつ過程に説得力を持たせることだと思うのだが、この映画ではその点が少し弱い。おっちょこちょいな清次が、口下手な朝吉親分の制止を振り切って九州に向かうのはわかる。だが九州で再会した際、朝吉と会話らしい会話を一度もしないまま、対立の溝を決定的に深める理由はわからない。人のよい清次の性格に付け入り、朝吉と対決させようとたきつける九州の親分連中も、もう少し用意周到に人間心理を追いつめていった方がいいんじゃなかろうか。物語の骨子はともかく、細部が無造作すぎるのが気になりました。ちなみに本作の脚本家は藤本義一。

 九州のやくざ連中と結びつきの強い中国マフィアの女幹部が、朝吉を文字どおり抱き込み、組織を裏切ろうとする物語が脇のエピソードになっています。犯罪組織の幹部の住まいにしては、何ともつましい生活。部屋は団地の1室で、キッチン、ダイニングの他に、狭い寝室があるきり。寝室とダイニングの間は、アコーデオンカーテンで仕切られている。今観ると、全体にすごく安普請なんですよ。この映画が作られた昭和39年には、この程度の住まいとインテリアでも、「犯罪組織の女幹部」の部屋としてある種のリアリティを感じさせることができたのでしょうか。もっともこの頃には、妙齢の女性のひとり住まいそのものが、一般的な観客からは少し距離のある話だったのかも知れませんけど……。

 田端義夫扮する流しのギター弾きまで登場したときには、ちょっとどうなることかと思いました。最後には「なるほど、そうなるのね」というオチが用意されているのですが、これは完全にゲスト出演でしょう。シリーズ映画というのは、こうした「遊び」が許される反面、独立した映画として見た場合、バランスを悪くしてしまう場合もある。これはその一例でしょう。

 朝吉と清次が敵味方に別れてしまった結果、シリーズの売り物であるふたり揃っての喧嘩立ち回りがほとんど見られず、魅力は半減しています。面白かったのは、埠頭で襲われた朝吉がからくも危機を脱して周囲を見渡すと、何事もなかったかのような港風景が広がっている場面ぐらい。防波堤の上での、朝吉と清次の一騎討ちも面白かった。この前も含めて、清次が露骨に朝吉に目配せして合図を送るんです。こんな面倒くさいことをするぐらいなら、最初から朝吉の側を離れなければよかったのに……。清次が九州のやくざの組にいなければならない理由は少しもないのだから、とっとと「親分これは私が悪かった」と朝吉のところに戻ればいいのにね。

 全体に言えることだが、清次周りのエピソードと、清次本人の行動がかみ合っていないところが多すぎる。清次の戸籍の話も、婚約者の話も、すべてが中途半端。これらを伏線にして終盤まで詰めて行けば、もっと骨の太い物語が作れたと思うんだけどなぁ。


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