ご存知!
ふんどし頭巾

1997/07/29 松竹第1試写室
平凡なサラリーマンが突如正義の味方ふんどし頭巾に変身。
すごくつまらない映画。観ていて悲しくなる。by K. Hattori



 どこからどう観ても、面白くも可笑しくもない映画。作っている本人たちは、これで面白いと思っているんだろうか。観ていても不愉快な印象しか受けないのだが、最後まで徹底的に馬鹿馬鹿しいので怒る気にもなれない。観終わった後の奇妙な脱力感。は〜、なさけない。

 致命的なのは、作っている側に主人公に対する共感や思い入れが感じられないこと。うだつの上がらない中年サラリーマンの悲哀に、一切の同情が感じられないから、映画を観ていても主人公に感情移入出来ない。この映画の作り手にとって、そもそもサラリーマンという存在そのものが滑稽なのでしょう。勤め人を笑い者にして、「俺達はサラリーマンとは違うんだ」というちっぽけな優越感をひけらかしながらこの映画を作っているように見えます。最初からサラリーマンを馬鹿にしているのです。それが映画を観ていて不愉快になる最大の原因。

 この映画の前半は『Shall We ダンス?』にしなくちゃいけないんだ。平凡で窮屈な会社勤めの中で、自分の仕事にちっぽけな誇りと満足を感じ、家庭でのささやかな幸福に身を浸してそれでよしとする人生。そこから主人公がどんどん逸脱していくからこそ、観ている側は面白く思えるのです。でもこの映画の作り手は、そもそも、その平凡な日常を嫌悪しているのです。日常の中でささやかな幸せにしがみついて生きている平凡な人生を、指差しながら笑っているのです。日常が指差して笑われるべきものなら、そこからの逸脱は称賛の対象かというとさにあらず。主人公が変身する「ふんどし頭巾」は、やっぱり指差して笑われるべき存在でしかない。主人公はどこにいて何をしても笑われつづける。悲しすぎます。企画・原作は秋元康。彼が企画に参加した『恋と花火と観覧車』という映画では、結婚相談サービスに集う独身男女を、同じように指差して笑っていた。不愉快だ。

 フリーの人間は、なぜかサラリーマンを馬鹿にする傾向がある。サラリーマンは会社にこき使われ、その大小として会社に庇護される、脆弱で、没個性的で、群れているしか能のない人間ばかりだと思い込んでいる。「サラリーマン=社畜」というステレオタイプな描写。ここからは、サラリーマンに対する共感など生まれようがない。彼らにとって、サラリーマンとは哀れむべき滑稽な存在ですから、その生態を誇張して描けば、それでコメディ映画が成立すると思い込んでいる。馬鹿です。

 9割り方不愉快でどうしようもない映画だったのですが、残り1割には面白い部分もあった。石井苗子演ずる主人公の妻が、自分の亭主の出世を信じて疑わないという部分には、へんな生々しさがあった。また、『OL忠臣蔵』でも好演していた坂井真紀が、主人公に恋する若いOLを演じて好印象を残している。会社の屋上で主人公と不倫談義をするくだりは、観ていても微笑ましい場面でした。坂井真紀は、このロクでもない映画の中で、唯一光り輝く宝石です。周りがガラクタばかりだから、ガラス玉でも宝石に見えそうだけどね。


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