新世紀エヴァンゲリオン劇場版
Air/まごころを、君に

1997/07/22 松竹セントラル1
様々な物議をかもした新世代SFロボットアニメの完結編。
面白い、興奮した、感動した、スゴイや。by K. Hattori



 テレビ放送で中途半端なままで終わったことを受け、映画用にリメイクされた25話と26話。テレビ版を見ていない僕としては、「それじゃ春の劇場版はなんだったのさ」と言いたくもなるのですが、そんな文句を吹き飛ばすパワフルな描写に息をのみ、すべてが終わったときはすっかり満足して劇場を出てきました。僕は3月に『シト新生』を観た段階から、この物語が「反・教養小説」だということを見抜いていたので、今回の展開も十分に納得できるものでした。最後に落ち着いたところも、予想していた範囲に納まってます。ただし、そこに現われ描き出された奔放なイメージの渦は、僕の貧弱な想像力を遥かに越えていた。巨大化した綾波レイが雲をつき抜けて、のけぞった姿勢からゆっくりと身を起こして行く場面の迫力には、全身鳥肌が立ちました。

 じつは劇場に入った時間が少し早かったので、今回とりあえず上映中の客席に入ってしまった。その時ちょうど、巨大綾波レイがエヴァ初号機の前に現われる場面でして、いや〜、びっくりしたのなんの。この場面の直後から映画はシンジの心象風景に突入してしまい、今回の映画の中でおそらくもっとも難解そうな部分を2度観られたのはかえってよかったかもしれない。ここで見られるイメージの洪水は、『シト新生』の総集編部分「DEATH編」で見られた猛烈なスピード感を彷彿とさせます。『シト新生』はこのための布石だったんですね。このあたりはビデオでコマ送りしたいような情報量ですが、それが劇場の大スクリーンでどんどん流れて行く様子はそれだけで有無を言わせないパワーがありました。

 芝居の部分も見せ場がいくつかあります。ひとつは、アスカの猛烈な戦い振りとその結末。活動限界を迎えたエヴァ弐号機の中で、「殺してやる、殺してやる、殺してやる……」と叫び続ける場面は、アスカがかわいそうで気の毒で涙が出そうになりました。もうひとつは、ミサトとシンジのキスシーンを、廊下の手前の方からロングの構図で見せる場面。「うわ、ディープキスだ!」というのが、身体の動きだけでわかるんですから、最近のアニメーション技術ってすごいなぁ。ちなみに、同じようにロングでディープキスを見せられる監督は、実写の世界にもそう多くはいません。

 聖書に書かれている黙示録的な世界を描きながら、その推進力となる登場人物たちが、きわめてプライベートな動機からだけ行動しているというギャップが、この作品の魅力。「人類補完」という遠大な計画は、碇シンジという14歳の少年が持つ内的葛藤にからめ取られて頓挫する。このギャップをギャップと感じさせないのは、作品に作り手側の「本気」が込められているからです。結局、最後は「気持ち」なんだよね。これを「頭」で作ったら、たぶん駄作になります。

 ラストシーンは評価が別れてますが、ここはこれで正解でしょう。あそこですんなり終わってしまったら、今まで作ってきた世界全体が嘘になってしまいます。


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