ジャングル大帝

1997/07/16 松竹第1試写室
手塚作品が心無い人間の手によってずたずたにされていく。
あの世で手塚治虫が泣いているぞ。by K. Hattori



 手塚治虫原作の長編アニメーション映画。松竹はこの映画で東宝の『もののけ姫』に対抗するつもりらしいが、はっきり言ってすごく辛い戦いになりそうな気がする。『もののけ姫』が連日立ち見の盛況であることを考えると、興行面での勝負ははなからついているわけですが、内容面でも見劣りするんだから弁解のしようがない。「大自然と人間の対立」を動物の視点から描く物語は、『もののけ姫』と正面衝突。『もののけ姫』で宮崎駿が追求した主題の深刻さにくらべると、『ジャングル大帝』のそれはあまりにも薄っぺらで白々しい。作画のレベルも総じて低く、いくつかのシーンで採用されているCG画像も安っぽい。何より問題なのは、エピソードを羅列しただけの脚本。物語の骨組みが支離滅裂で、ドラマの体裁をなしていない。

 『ジャングル大帝』はディズニー映画『ライオン・キング』にアイディアを盗まれた名作です。僕は『ライオン・キング』を面白いとは思いませんでしたから、今回『ジャングル大帝』が「本家本元の意地」を見せれば、ディズニー映画に一矢報いることができるのではと多少の期待をしていた。ところが何と、手塚プロのスタッフはそこから逃げてしまったのです。映画は原作前半にある主人公レオの成長物語をばっさりと捨て去り、レオの死に至る原作終盤のエピソードを中心に構成されている。父パンジャの死を乗り越えてレオが成長して行く前半を映画にすると、『ライオン・キング』になってしまうことを恐れたんでしょうか。情けないたらありゃしない。

 「主人公の死を描けば観客が感動するに違いない」と考えたのは、それが同じ松竹で作った『フランダースの犬』で実証済みだからでしょう。僕は『フランダースの犬』を退屈な映画だと思ったけど、今回の『ジャングル大帝』はそれに輪をかけて退屈な映画でした。もっとも、『フランダースの犬』で感動する客がいるのだから、『ジャングル大帝』にも感動する客がいるかもしれません。しかし、心優しい観客の安っぽい涙を期待して安易に主人公を殺してしまったのだとすれば、それはあまりにも原作をないがしろにした話です。

 もちろん、こうした批判に対して「映画は原作通りである」という反論もあるでしょう。確かにその通り。原作でもレオはムーン山で遭難し、ヒゲオヤジの前に身体を投げ出して死ぬ。残された息子ルネは父の毛皮に身体を摺り寄せ、父レオの姿に似た入道雲を見上げて物語は終わる。だが、原作にあったレオとヒゲオヤジの信頼関係が映画に持ち込まれていないため、映画版レオの行動は不可解なものになっている。レオが一時的に人間の社会で暮らしていた「文明化されたライオン」であることがわからないと、レオの人間に対する複雑な感情や非暴力主義の理由が理解できないし、息子ルネが人間界に憧れるエピソードも生きてこない。

 オープニングで流れる冨田勲の音楽は素晴らしい。立川談志のハム・エッグも面白い。でもそれだけじゃ困る。


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