心のおもむくままに

1997/06/06 シネスイッチ銀座2
祖母から孫娘に宛てた遺品のノートが語る過去の思い出。
イタリア版『マディソン郡の橋』は消化不良気味。by K. Hattori



 イタリア版の『マディソン郡の橋』みたいな映画。祖母のノートに遺言のように残された孫娘への手紙。映画は孫娘の幼い頃の記憶、母親と祖母の確執を経て、祖母の秘められた恋の物語までさかのぼって行く。祖母が不倫の恋の末に生んだ子供が、成長して私生児を生むという因果応報の物語だ。手紙を読む孫娘の様子を時々物語の中にはさみ込んで行くという構成まで、まるきり映画『マディソン郡の橋』そっくり。祖母の恋だけでなく、生まれた子供との関係や、孫娘との関係にも大きくエピソードが割かれているところから、全体を通して女性三代の人生をめぐる大河ドラマ風。祖母と恋に落ちる医者も、祖母の夫も、祖母の父親も登場するが、その印象は薄い。母親の恋人(孫娘の父親)はついに最後まで登場しなかったしね……。

 祖母の手紙は孫娘に対し「心のおもむくままに生きよ」と告げているのだが、それまでの物語から「心のおもむくままに生きる」ことの意義は伝わってこない。歳とって死にかけた婆さんが、「あたしも若い頃には浮き名を流したもんよ」と孫に自慢しているだけじゃないのか。エピソードをただずらずら並べただけで、そこから有効なテーマが現れてこないのだ。もう少しキーになるエピソードや台詞を前面に出してほしかった。

 手紙を読み進めていた孫娘が、祖母の手紙に最初は顔を曇らせ、ひどい話だと怒りをあらわにし、やがてそうしたすべてを包み込む巨大な愛に感動する……、みたいな流れになっていると思うのですが、この手紙のどこがどういうふうに孫娘を勇気づけることになったのか。それがまったく映画からは伝わってこない。祖母の話は、孫娘がこれから人生を歩んで行くに当たり、どんなプラスの効果を生み出すのだろう。なぜ孫娘は手紙を読んで、感動して涙を流しているのだろうか。

 『マディソン郡の橋』という映画を僕はそんなに買っていないのだけれど、あの映画にはそうした点についてのきちんとした説明があったから、一応最後まで観て、きちんと観客の腑に落ちる話になっている。『心のおもむくままに』にそうした明快なエピソードは見当たらない。たぶんどこかに隠れているのでしょうが、少なくとも僕には伝わってこなかった。この映画を観て、深く感動した人がいたとしたら、その人はどんな部分に感動したのかな。僕にはちょっと予想ができないな。

 この映画のベッドシーンを見ていて思ったんですが、恋愛ってのは恋人の姿を通して自分自身を見つめることなのかもしれませんね。結婚生活の中で疲れ、自分自身を失っていた主人公は、保養地で魅力的な男と恋をすることで、自信に満ち溢れた強い女に生まれかわる。ベッドの中で互いの身体に触れ合い、互いの顔を見詰め合う恋人たちは、そのことを通して本当の自分らしさを取り戻して行く。恋が喜びに満ちているのも、失恋が辛く悲しいのも、恋をしている人が恋人の目を通して自分自身を見つめているからかもしれません。


ホームページ
ホームページへ