奇跡の海

1997/05/28 シネマライズ
主人公ベスを演じるエミリー・ワトソンの表情が素晴らしい。
一直線に突き進む、究極の愛の物語。by K. Hattori



 手持ちカメラのふわふわとした映像が、こんなに力強い印象を与えるものかという発見。家庭用ホームビデオに見られるような、ピンぼけや急速なパンなどをあえて使い、物語をリアルで生々しいイメージとしてフィルムに定着することに成功している。こうした一見作為がなさそうな映像表現には、映像派のラース・フォン・トリアー監督の周到な計画性があるわけだが、そうとわかっていてもつい映像の見せる隙につりこまれてしまう。こうしたリアルな本編映像の合間に、各章の扉にあたるCG画像が挿入されて、この物語がファンタジーであることを強く印象づけている。巧妙に作られた映像とドラマは、上映時間中一貫した吸引力で、観客の目をスクリーンに釘付け。特別長い映画ではないが、観終わった後、心身ともにヘトヘトに疲れてしまった。

 寓話的なストーリー展開や、教会と人間との対決、愛と性の問題などを描いているため、難しく考えればいくらでも難しく解釈できそうな映画だと思う。間違いなく現代の物語のはずなのに、主人公たちの属しているコミュニティーは教会を中心とした中世的なもの。こうした教会が実在するとはとても思えない。死者を葬るときに、「この者は罪を犯したため地獄に落ちる」と神父が宣言する場面など、一般的なキリスト教の教会ではあり得ないはずだ。こうした判断は神のみが下せるものであり、ちっぽけな人間の知識で善悪を判断できるものではない。もっとも映画では、こうした教会の姿を通して、世の良識や常識というものを象徴させているのだろう。教会に集う長老たちが、話し合いで主人公の処分を決めるくだりなどにも、現実社会のパロディとしての教会像を感じた。話し合いで人間の良否善悪や死後の運命が決められるとは思えないけど、人間は得てしてこうした方法で人を裁いてしまいがちだ。

 主人公ベスの表情が素晴らしい。理想の伴侶ヤンとの結婚に喜びを隠せず、口元にいつも微笑みをたたえている様子。抱き合って眠るヤンのいびきを聞きながら、幸せそうに笑い出してしまう場面。不機嫌そうに突き出した唇が、ゆっくりとほどけて微笑みに変わるところなど、じつによく動く表情が魅力的だ。こんな表情で見つめられたら、誰だって彼女を愛さずにはいられない。仕事で離れ離れになったヤンと電話で話しながら、思わず泣き出してしまう場面からは、夫に逢いたくてたまらない彼女の気持ちがストレートに伝わってくる。ヤンの事故以降、彼女の幸福そうな表情が次第に曇り、絶望と苦悩で険しくなって行くのを見るのはつらい。

 ベスを演じたエミリー・ワトソンはこれが映画デビュー作だとか。最初はヘレナ・ボナム・カーターが内定してたんだけど、内容にびびって降りてしまったらしい。『死の愛撫』はよくても『奇跡の海』は駄目なのか。ふ〜ん。ボナム・カーターの演じるベスも観てみたい気がするけど、そうなるとエミリー・ワトソンは見られなくなるわけだから、配役人事というのは面白い。


ホームページ
ホームページへ