PiPi ピピ
とべないホタル

1997/05/04 有楽町朝日ホール
(日映協フィルムフェスティバル'97)
小学生の道徳教育用アニメ。これでいじめがなくなるんだとサ。
こんなものありがたがる親や教師の気がしれないよ。by K. Hattori



 原作の「とべないホタル」は30年ほど前に小学校の学級新聞に連載されたものだそうです。最近「いじめがなくなる童話」として注目され、アニメ映画になりました。主題歌を松任谷由実が歌ってます。製作は虫プロだし、小規模な作品ながら作画のクオリティなどもそこそこのレベルなのですが、僕はこの映画の内容にどうしても納得できなかった。こんなもので本当にいじめがなくなるなら、今までのいじめ対策っていったい何だったんでしょう。こんな安っぽい、おためごかしの漫画映画に匹敵するだけの指導を、教師はしてこれなかったんだろうか。僕は「この映画でいじめがなくなる」云々より、この映画に指導能力で負けてしまう、教師の資質の方に問題を感じるぞ。こんな映画をありがたがるなよ。

 この映画の主人公ピピは、生まれた時から羽根がちじれ、空を飛ぶことのできないホタルです。彼はそのコンプレックスを「自分でも人の役に立つことができる」ということで克服する。僕はこの筋立てがそもそも「偽物だな」と思ってしまうのです。人はなぜ、他人の役に立たなきゃならないんだろう。自分に劣っている点があったら、それを相殺するような長所なしに、人は生きられないのだろうか。そんなことないんだよ。人は他人の役に立たなくたっていいし、特別な長所なんてなくたっていいんだよ。そんなものを求め始めたら、自分では何もできない重度の障害を持った人などは、生きている意味がないってことになってしまうじゃないか。

 そもそも「人間は平等なはずだ」という近代思想が問題なんだ。この映画も、そうした平等神話の上に成り立っている。ピピは飛べないけど、優しさがある、勇気がある、思いやりがある、決断力がある、それが飛べないというピピの欠点を補ってあまりある。こんなのうそっぱちだ。こんなのコンプレックスの裏返しじゃないか。

 大嵐の夜、ピピの友達のホタルの1匹は光れなくなり、1匹は目が見えなくなる。その時がぜん張り切って2匹の面倒をみるピピ。もっとも嫌なのは、飛べないけど目の見えるピピと、飛べるけど目の見えないホタルがペアになって旅をするところ。結局この2匹は、こうして互いの足りないところをカバーし合うことで、相手のかけた部分について自らの優越感を味わい、それによって自分のコンプレックスを解消しているんだよ。やだやだ。こんなもん、普通に飛べるホタルが目の見えないホタルを先導し、別の元気なホタルが2匹か3匹がかりでピピを運んだほうが能率的だよ。でもピピはそれを拒否する。

 森の動物たちはみんな仲間なんだけど、肉食のクモやカマキリは仲間じゃないという区分けも、なんだかひどく安易な話だよね。こんな安易さで「いじめがなくなる」なんて笑っちゃうよ。この映画の中では、最初から異物が排除されているんだ。仲間と仲間はずれが明確に決まっていて、仲間はずれは敵であって話し合いの余地すらないんだよ。まぁそれはそれで世の真実だからいいんだけど、それで「いじめ解消」なんて欺瞞だっての。


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