クルーシブル

1997/04/22 ヤマハホール
(産経シネマスペシャル)
17世紀にアメリカで起きた魔女狩り事件の顛末を描いた映画。
アーサー・ミラーが自作戯曲を自身で脚色。by K. Hattori



 恐い映画です。17世紀にアメリカ・マサチューセッツ州セイラムで実際に起こった事件をもとにした、アーサー・ミラーの同名戯曲をミラー自身が映画用に脚色。監督は舞台演出家のニコラス・ハイトナー。両名共に舞台を知り尽くした人たちだけに、板の上の芝居と映画の違いがよくわかっている。映画化された作品は、映画的なダイナミズムをみなぎらせた力作です。いかにも「もと戯曲」という狭苦しさはありませんが、この映画の見所はやはり俳優たちの演技でしょう。俳優たちの迫真の芝居は、人間の心理のひだを表現してあまりあるもの。主演のダニエル・デイ・ルイスとウィノナ・ライダーの熱演は、鬼気迫るものがあります。主人公の妻エリザベス役のジョーン・アレンも素晴らしかった。

 『クルーシブル』の原題は「THE CRUCIBLE」で、「るつぼ」という意味です。少女たちのささいな悪戯が、迷信深い小さな町を、恐怖の支配するこの世の地獄に変えてしまう。魔女狩りの熱病が町を覆い、次々に捕えられ裁判にかけられる人々。迷信が人を疑い深くさせ死に追いやる様は、現代の観客からみれば愚かとしか言いようがない。しかしこの映画が本当に恐いのは、最終的に殺す方も殺される方も、悪魔や魔女の存在を信じていないことだ。死刑を言い渡す側は、相手が悪魔と契約した魔女ではないことを知っている。魔女だと名指しした証言自体が、信憑性のない虚偽の証言であることを知っている。にもかかわらず裁判は進行し、誰にも止められない。

 たどり着く先が間違いだと知りつつ、それを止められないのはなぜか。小さな悪意と人間なら誰しもが持つ自己保身、ささやかな権力欲やプライドが、この裁判を先へ先へと進めて行く原動力になる。そこでは理性的な説得など何も役に立たない。裁判に疑問を持つ少数の意見は、性急にわかりやすい結論を求める人々の声や、利口ぶった法律家の前に押しつぶされてしまう。

 アーサー・ミラーは17世紀に材をとりながら、このドラマを現代の物語として描いています。1950年代にアメリカの芸能界を吹き荒れた赤狩りのイメージが、ミラーの頭にあったことは疑う余地がないでしょう。セイラムを覆った「魔女の恐怖」は、50年代のアメリカを覆った「共産主義の恐怖」と重なります。20世紀の人間から見て、魔女に怯える17世紀の人々を笑えるでしょうか。17世紀の人間が愚かであったのと同じように、現代の人間もまた愚かなのです。

 僕はこの映画を観て、昨今のマスコミや論壇をにぎわしている「従軍慰安婦問題」を連想していました。この問題を巡る両陣営のやり取りとそっくりの台詞が、映画の中に何度も出てきます。慰安婦問題に興味がある人は、『クルーシブル』を観ることで、何がしか考えるヒントを得られるかもしれません。そうした点からも、この映画は今日の映画なのです。くしくもこの試写会は産経新聞の主催。そこにもまた何か思惑があるのでは、と考えるのは裏読みのしすぎでしょうね……。


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