風の谷のナウシカ

1997/04/11 高田馬場東映パラス
語られる世界は広大なのにストーリーが少し窮屈に感じるのは、
主人公と共に作者が迷っているからです。by K. Hattori


 初公開の時に劇場で観て以来だから、じつに13年ぶりの再会。安田成美が「ナウシカ・ガール」としてデビューし、映画のテーマ曲を歌ってたんですから、何だかすごく遠い昔の話ですね。僕、当時はオタクでしたから、このレコード持ってました。当時の僕は、この映画を観て劇場で泣いちゃったんだよね。最後に老婆が「其の者青き衣を纏いて金色の野に降り立つべし云々」と言う場面で泣いた、当時の僕の若かったことよ。今改めて観ると、映画全体の構成が頭に入っているせいか、脚本や演出などに気が向いてしまって、素直に感情移入出来ません。後のジブリ作品に比べると、話の組み立てやテーマの打ち出し方がガチガチに固くて遊びがないし、作画のレベルにもばらつきが目立ちます。

 映画の序盤で物語の背景や登場人物の紹介を、すべてナウシカの台詞で済ませています。このあたりは、もう少し脚本を練ってほしいところでした。ナウシカがしゃべり過ぎなんです。もともと雑誌アニメージュで連載していたマンガを連載途中でアニメ化したもの。宮崎駿の持っていた世界観や物語の全体像が、映画の中に無理矢理ギューギュー押し込まれているような感じです。背景に広がる壮大な世界を整理するために、ある程度の整理整頓は必要でしょうが、あまりにも整理しすぎて余裕がなくなっています。わかりやすくはなってますけど。

 改めて観て気がついたんですが、この物語って最終的な結論がずいぶんと曖昧になってしまっているんですね。大国トルメキアの皇女クシャナとナウシカが和解したとしても、それが世界全体を救ったことになるのだろうか。最終兵器である巨神兵の復活は阻止できたとしても、腐海は着実に人々の生活を脅かし、大国同士の争いは収まらない。腐海の底にある清浄な世界が人々に恵みをもたらすまでには、さらに千年待たなければならないのです。

 「動き出したものはもう止まらない」「後戻りは出来ない」といった類の台詞が何度も登場します。巨神兵は成長を続け、風の谷の人々は反乱を起こし、ペジテの人々は王蟲を暴走させ、それを止めることは容易ではない。ナウシカはそれをすべて止めることに成功しますが、では止まった後どうすればいいのかという答えは、『風の谷のナウシカ』という映画の中には描かれていないのです。ナウシカは新しい人間の生き方を、何か提案していたでしょうか。答えは映画の中にありません。トルメキア軍は引き上げ、風の谷には以前のような平和が戻り、ユパは腐海に帰って行く。ふりだしに戻るだけです。

 この物語から「人間と自然との関わり方」といったテーマを導き出すのは容易ですが、そこから答えを導き出すことは出来ません。むしろ学ぶべきは、人間と歴史の関わり方でしょう。トルメキアもペジテも、今現在からしか未来を見ていない。歴史の中の遺産から、自分に都合のいいところだけをつまみ食いしようとしている。ナウシカだけが、最終戦争後の人類千年の歴史をすべて背負おうとしている人間なのです。


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