悪い奴ほどよく眠る

1997/04/08 並木座
結婚式の場面から西村晃を追いつめるまでは最高に面白い。
途中からそれが腰砕けになるのは残念。by K. Hattori



 その昔、呉の国の王子・夫差は、越との戦いで傷つき死んだ父の無念を晴らすため、朝夕積み重ねた薪の中に寝起きし、周りの者に「夫差よ、お前は越人が父を殺したことを忘れたか!」と呼びかけさせては、自らの復讐心を養った。この後、夫差は夫椒の戦いで越軍を撃破。見事に復讐を成就した。敗れた越王・勾践は、この日より寝所置いた獣の肝を舐めては苦渋と恥辱に満ちた敗北を思い出し、復讐のために執念を燃やしたという。臥薪嘗胆の故事はここから出ている。

 『悪い奴ほどよく眠る』で三船敏郎が演じる西という男は、現代版の臥薪嘗胆物語を見せてくれる。官庁の汚職事件で、罪を一身に負って自殺した父。罪を部下ひとりになすりつけ、上役連中は我が世の春を謳歌している。典型的な「トカゲの尻尾切り」だ。自殺した父の仇討ちのため、友人と戸籍を交換し、別人に成りすまして上役たちに接近する主人公。彼は懐中に父の自殺現場写真を持ち歩き、時々それを取り出しながめては、自らの復讐心を鼓舞し補強する。まさに臥薪嘗胆の現代風アレンジ。

 夫差と勾践の恨みは私怨だが、この映画の主人公はきっかけこそ父の復讐だが、「国民の税金で私腹を肥やす役人が許せない」という大義名分がある。自分は絶対に正義だという確信がある。法律的には幾つか罪を犯したとしても、自分たちの行動が道義的には間違っていないのだという信念がある。私怨を公怨が後押しし、公怨が私怨を奮い立たせる二頭立て馬車。だがこの二重性が、『悪い奴ほどよく眠る』という映画を曖昧にしている。

 官民の癒着や思うように任せない汚職事件の追及に業を煮やし、黒澤明がこの映画を作ったことは間違いないと思う。しかし主人公たる西の怒りを、はたして黒澤明は共有しているのだろうか。映画は前半こそ面白いが、主人公の動機が明らかになった中盤から失速する。主人公の行く先が、個人的な怨みを晴らすことにあるのか、社会正義を実現することにあるのかが不明確で、焦点が定まらなくなってしまうのだ。

 主人公が敵と付け狙う公団副総裁の上に、更なる黒幕がいるという設定もいただけない。主人公の復讐対象は副総裁までで、その上の黒幕は眼中にない様子。必然的に、主人公の行動は大きな政治的な腐敗の前に空回りせざるを得ない。そもそも観客からしてみれば、悪の総本山であるべき副総裁が、電話口で誰かにぺこぺこと頭を下げていることに戸惑う。敵役に向けるべき怒りの矛先に迷いが出るのです。「本当の悪党は表に出ない」というオチは、最後の最後に持ってきて、サゲを二段にすればすっきりとまとまったはずだ。

 最後に加藤武が苦悶の表情で大演説をぶつが、この場面は映画全体の中から明らかに浮いている。加藤は社会正義が実現できなかったことを悔いているわけだが、はたして三船敏郎演じる主人公は、彼と同じ怒りを持って行動していたのだろうか。結局最後の最後まで、主人公が持つ動機の二重性がネックになってしまった。


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