絵の中のぼくの村

1997/04/07 新宿東映パラス3
詳細な日常のディテールが単なる過去への追慕ではなく、
ちゃんとファンタジーになっている。by K. Hattori



 ベルリン映画祭で、銀熊特別表彰を受けた作品であると同時に、1996年度のキネマ旬報5位。母親役の原田美枝子はキネ旬の主演女優賞も獲得した。監督は『橋のない川』の東陽一。終戦から間もない昭和23年の高知を舞台に、双子の兄弟の日常と成長を描いたドラマだ。終戦後の子供の生活というと、小栗康平の名作『泥の川』があるが、そこでは戦争の傷痕に苦しむ大人たちの視点から、子供たちの日常を相対化しようという視点があった。『絵の中のぼくの村』は完全に子供の視点だけで描かれた物語。のどかな田園風景の中で繰り広げられる子供たちの日常は、現代から見るとまるでおとぎばなしの世界だ。宮崎駿のアニメ映画『となりのトトロ』が好きな人なら、間違いなくはまると思います。妖怪が登場するファンタジックなシーンもありますしね。

 東京暮らしの僕から見ると、この映画を今の日本で作れたということが驚きです。50年前にはありふれた農村の風景も、今は探すのが大変だったと思う。ロケ場所探しには苦労したでしょう。東監督は前作『橋のない川』でも「昔の日本の農村風景」を描いていました。その蓄積あっての『絵の中のぼくの村』だとは思いますが、登場する子供たちまで、きっちりと昔風の顔をそろえるあたりには脱帽です。民家の様子や、子供たちの擦り切れた服なども、生々しく再現されています。(もちろん僕は本物を見たことはありませんが、見たことのない物をそれらしく感じさせるのが映画のリアリズムです。)

 双子の兄弟を演じた松山慶吾と松山翔吾のふたりが素晴らしい。物語は二人を中心に進んで行くから、彼らに存在感がないと、この映画はばらばらになってしまう。芝居という点では荒っぽいところもあるのですが、周囲の出演陣がその荒々しさを埋め合わせる木目細かい芝居を見せ、物語を緻密なものにしています。擦り切れた服を着て裸足で学校に通う同級生の少女、不良少年のセンジなど、芝居の上手い子役をすぐ近くに配したのは成功でした。特に女の子がいいんだよね。丸顔色黒で今風の美少女という基準からは外れるけど、生活感があって妙にエロチックな感じさえします。

 父親役の長塚京三は、最近本当に売れっ子ですね。この映画では口数少ない昔風の父親を演じてますが、一番印象的だったのは、主人公が錐で手を突いてしまったとき、少しも動じることなく手早く治療し、工作の続きを手伝うところでしょうか。手際よく工作を仕上げて行く父親の手元を、まるで魔法でも見るような目で見つめている子供の表情もいいし、そんな子供の様子も意に介さず、さっさと工作を仕上げてしまう父親もいい。

 原田美枝子の母親も、素敵なキャラクターに仕上がってます。理想的な日本のお母さんでありながら、不良少年のセンジを家に上げない不合理さを併せ持つなど、裏も表もある大人の世界を彼女ひとりの存在で見せてます。久しぶりに父親が帰ってきた食卓で、ちらりと女の表情をのぞかせる場面にはハッとしました。


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