マルセリーノ パーネ ヴィーノ

1997/03/27 シャンテ・シネ1
修道士に拾われた孤児マルセリーノの信仰が奇跡を起こす。
往年の名作『汚れなき悪戯』のリメイク。by K. Hattori



 1955年のラディスラオ・バホダ監督作『汚れなき悪戯』のリメイク作品。オリジナルはスペイン映画だから原題が「MARCELINO PAN Y VINO」。今回の映画はイタリア映画ですから、原題が「MARCELLINO PANE E VINO」になってます。リメイク作品としてオリジナル版に敬意を払っていることを宣言している部分もあって、映画の冒頭でマルセリーノ修道院の鐘が「マルセリーノの歌」のメロディを奏でます。鐘の音が「むかし『汚れなき悪戯』って映画があったよね。僕たちあれに感動したんで、こんな映画を作っちゃいました」と言っています。

 戦乱が続く17世紀イタリアの小さな村。修道僧たちが捨てられた赤ん坊を拾い、マルセリーノと名づけて可愛がる。成長したマルセリーノを跡継ぎのいない領主が養子として引き取ろうとするが、修道院育ちのマルセリーノは領主の館での堅苦しい生活になじめず逃げ出す。修道院に戻ったマルセリーノを領主が奪い返しに来るが、そこで奇跡が起こる……、という物語。古風な話さ。

 マルセリーノを演じたニコロ・パオルッチは確かに可愛い。オープニングタイトルで、劇中のパオルッチの姿がアルバム風に紹介されるのですが、それだけで十分に可愛い。可愛いけど、でもそれだけの映画。いたいけな子供の一挙手一投足に、「可愛い!」とか「かわいそう〜」と歓声を上げられている人はいいのかもしれないけど、僕は「思わず落涙」という感動を味わえなかった。修道士ひとりひとりの性格付けがやや弱くて個性や人間臭さが感じられないし、マルセリーノもいい子すぎて行動に面白味がない。もとより「昔ばなし」の形式で語られる物語とはいえ、ただ筋立てを追うだけでは楽しめない。もう少し、何とかならないのかなぁ……。

 この物語が成立する背景が、僕には共有できないのです。修道院は信仰以外何もないところだけれど、人間を飾らない自由がある。労働と祈りに明け暮れる型にはまった毎日の中に、生きる喜びがある。富や名誉といった世俗の欲望と無縁なところに、人間本来の豊かさがある。表面的には質素で貧しくとも、人間としてはこの上もない幸せや喜びにつつまれている。マルセリーノはそうした本当の幸せや喜びを知っているから、欺瞞や虚飾に満ちた領主の生活になじまない。キリスト教社会では、信仰と生活がごく自然に一体となったマルセリーノの生活は一種の理想でしょう。でも残念ながら、僕には修道院の生活が、そんなに魅力的に見えなかったんだよね。

 修道院の生活が魅力的に見えないと同時に、領主の生活もそんなに醜悪には見えない。領主の生活にマルセリーノがなじめないのは、単に慣れの問題のように思えてしまう。時間が解決する些細な事柄のように見えてしまう。本当はそうじゃないんですよ。生まれながらのマルセリーノの清らかな性格や性質が、領主の生活を拒むのです。修道士たちもそれがわかるから、マルセリーノを領主の手から守ろうとする。

 でも、そうは見えないんだよなぁ。なぜでしょう。


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