ザ・プロデューサー

1997/03/09 早稲田松竹
ケヴィン・スペイシーの部下イビリがじつにエレガントで板についている。
ラストのひねりがなかなか面白いハリウッド内幕もの。by K. Hattori



 『セブン』『ユージュアル・サスペクツ』『リチャードを探して』『評決のとき』など、最近なにかと目につく俳優がケヴィン・スペイシー。脇役ながらすごく存在感のある俳優ですが、主演映画として紹介されるのは、この『ザ・プロデューサー』が最初です。原題は「THE BUDDY FACTOR」。バディとはスペイシー扮する映画会社の腕利きプロデューサーの名ですが、「相棒」という意味もある言葉。誰と誰とがどういった相棒になるのかは、映画を全部観終わった後のお楽しみ。このタイトルは、結構意味が深いなぁ。そのあたりが邦題に活かされていないのは残念ですけど、ま、これは難しいよね。

 主人公はケヴィン・スペイシーですが、物語の語り手はフランク・ウェイリー扮する彼のアシスタントです。映画業界での成功を夢見て、大物プロデューサーの下で修業しようとするウェイリーを、上役スペイシーが徹底的にいじめ抜く。満座の前で罵倒し、コケにし、相手の自尊心をずたずたに引き裂き、人間性を無視し、紙屑同然に扱う、そのいじめっぷりがなかなか壮絶で病的です。

 あまりのことに初日からショックを受けた新人が、「ビジネスなのになぜ?」とたずねると、先輩社員が「ビジネスじゃない、ショービジネスだ」と答えます。そんなもんなのかしら……。映画プロデューサーのワンマンぶりは、ロバート・アルトマンの『ザ・プレイヤー』にも描かれてました。かなり似てます。だから多分、実態も似たような物なんでしょう。恐い世界です。

 プロデューサー志願の若い社員の悲劇は、彼がなまじ映画が好きだったことに原因があります。映画が好きだからこそ、彼は歯を食いしばってがんばってしまうし、自分のアイディアや企画を通そうと食い下がる。彼の後輩たちのように、ただ単にきらびやかな映画界に漠然とあこがれていただけなら、彼はもっと楽な生き方を選べたでしょうに……。金や名誉や女には代えられない大きな魅力が、映画業界にはあるってことなんでしょうか。

 さんざんいじめ抜かれたアシスタントが、スペイシー扮する上役を縛り上げ、今までの鬱憤を晴らすべく拷問します。ところが拷問の内容がいちいちセコくて、そのまま殺してしまうところまでは行きそうにないのがもどかしい。結局アシスタントの受けた恥辱なんて「死にも勝る屈辱」ではなかったんですね。だから殺すまでは復讐がエスカレートしない。だとしたら、この物語の結末はどうなる。一時の逆上で、この若者は今までの苦労と一生を棒に振るのか。着地点の見えぬまま、拷問がだらだらと続けられて行く。この構成はなかなか見事で、最後はあっと驚かされること請け合いです。

 この映画に出てくるアシスタント職ですが、主体性のない人が「はいはい、仰せごもっとも」という調子でやってれば、それなりに楽な仕事なんじゃないだろうか。へんに自己主張せず、ひたすらペコペコ奴隷のように頭を下げてればいいんでしょ。自己主張が優秀さの証であるアメリカ人には辛くても、日本人には案外平気かも。


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