セルロイド・クローゼット

1997/02/08 銀座テアトル西友
往年の名作映画に隠された同性愛のメッセージを読み解くスリル。
映画の歴史は、同性愛の歴史でもあるのです。by K. Hattori



 日本語の副題「カムアウトするハリウッド」というのは、なかなかいい感覚。無声映画時代から現代に至るまで、アメリカ映画の中で同性愛がどう描かれ、同性愛者がどう扱われてきたかを描いたドキュメンタリーです。今では映画の1ジャンルになった同性愛ですが、かつて厳重な倫理規定によって、それが描けない時代がありました。同性愛は完全なタブーとして、その存在すら描くことができなかったのです。そんな中、映画作家たちは倫理規定の網の目をくぐって、あの手この手で映画の中に同性愛を示すシグナルを埋め込んだ。それを詳細に解説するくだりは、この映画で最もスリリングな部分です。

 『セルロイド・クローゼット』の中で引用されている映画は120本あまり。『レベッカ』『ロープ』『スパルタカス』『理由なき反抗』『マルタの鷹』などを、まるで手品の種明かしをするように解説してくれます。中でも素晴らしいのは、チャールトン・ヘストン主演の『ベン・ハー』を解説するくだり。脚本家ゴア・ヴィダル本人が登場し、監督と演出プランを練ったエピソードを披露するのだから、これは本物です。この解説を聞いてから『ベン・ハー』の件の場面を観ると、再会したベン・ハーとメッサラの熱っぽい視線が、恋人同士のものに見えてくるから不思議。映画って視点をちょっと変えるだけで、いかようにも見えてくるもんなんですね。

 倫理規定が大手を振ってまかり通っている時でも、その裏をかき、出し抜き、網の目をかいくぐって、映画作家たちは同性愛を映画に取り込んできた。同性愛者はしばしば悪役として登場し、善良な家族や市民を苦しめ、本人は悲劇的な結末を迎えるのが常だった。ただこれを単純に「そうまでして同性愛者を差別したかったのだ」「映画は〈同性愛=悪〉という価値観で観客を洗脳してきた」と決め付けてしまうのは違うような気がする。

 映画は大資本が製作する大衆娯楽だから、最後の最後には保守的な結末に落ち着こうとする傾向がある。同性愛者が殺されるのはそのためでしょう。でも、そんな映画を製作しているスタッフの中には、多くの同性愛者がいたんだよね。現場ではみんながそれを知っている。手を変え品を変えて何とか同性愛その物を映画で描こうとしたのは、むしろ同性愛の存在をフィルムの中に刻み付けたいという、情熱や執念だったんじゃないだろうか。

 この映画で明らかにされるもうひとつの真実は、制約や制限の存在が、逆に映画の表現を豊かにするという逆説です。映画作家たちは直接描写を禁じられたおかげで、描きたい対象を間接的に描くこと、別の事物で象徴させること、小さなほのめかしを積み上げて人物像を作り上げる技術を編み出したのです。こうした技術は、現代のハリウッド映画の中にも生きていまが、制約がなくなった今、制約に縛られていた時代と同じような工夫を、脚本家や監督たちは行っているだろうか。

 この映画は映像表現の奥深さを学べるという意味でも、すべての映画ファン必見の映画だと断言します。


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