河内山宗俊

1997/01/05 文芸坐ル・ピリエ
昭和11年の日活映画。今この映画をスクリーンで観られる幸せ。
山中貞雄が残した3本の映画のうちの1本。by K. Hattori



 夭折した天才映画監督・山中貞雄が、昭和11年に撮った日活映画。昭和11年といえば、僕の親父が生まれた年だ……。そうか、この映画は僕の親父と同い年であったのか。僕の親父がオギャアと生まれたその頃に、こんな凄い映画を作った監督がこの日本にいたのか。いろいろと考えてしまったぞ。

 この映画は以前テレビの深夜枠で放映されたのをビデオに録って、CFをとばしながら見た記憶がある。粗筋はだいたい憶えていたのだが、改めてスクリーンで観るとすごい迫力。映画の巻頭から結末まで、一部の揺るぎもない緊張感。無駄のない脚本。前進座の役者たち、中でも主演である河原崎長十郎と中村翫右衛門の素晴らしい芝居。若き原節子の瑞々しさ初々しさ。上映が始まるやいなや、目はスクリーンに釘付け。

 人物配置とプロットが秀逸。甘酒屋の姉弟の話と小柄を巡るエピソードが入り組み、そこに主人公・河内山宗俊と女房、やくざと用心棒などがからむ、かなり入り組んだプロットなのだが、物語の語り口は明快そのもの。映画を観ていてわかりにくいところは少しもない。これだけの内容を、これだけの時間の中にすんなりとまとめてしまう手腕は大したものだ。脚本が素晴らしいのは言うまでもないが、演出がギクシャクしないのがすごい。時間の経過にも、まったく無理がない。

 甘酒屋の娘に熱を上げている金子。確かに彼は娘に惚れているけど、一方で彼は自分と娘が別の世界に住んでいる人間だということを知っている。侍に戻る気もなく、かと言ってやくざになりきってしまうでもなく、中途半端にやくざの食客となって用心棒まがいの生活をしている金子。世俗の垢にまみれ、それに嫌気がさしながらもそこから逃れられないでいる自分に半ば腹を立てながら、彼は甘酒屋の娘の無垢な姿に心が洗われるような気分がしている。彼は娘の前にいる時だけ、汚れる前の無邪気な自分に戻れるんですね。

 話の筋立てとしては、原節子演じる甘酒屋の娘が女郎に売られそうになる所を助ける話なのだが、主人公・河内山の方は、むしろその弟を助けたくて骨を折っているように見えた。彼は彼で、一人前の大人ぶって姉に迷惑をかける不良少年の中に、かつての自分の姿を見ているのかもしれない。弟思いの姉を助けるのも、そうした気持ちがベースにあるからでしょう。

 甘酒屋姉弟もじつによく描けている。仕事もせずにふらふらしている不良の弟を気にかける姉。侍の小柄を盗んで姿を消し、戻ってきた時は花魁と心中しそこねて、やくざから三百両の借金を押し付けられる。このくだりは、原節子の無言の芝居が胸を打ちます。

 静かな芝居が続いていた映画だけに、クライマックスの殺陣は壮絶。姉弟を逃がすために、金子と河内山がやくざ連中と切り結ぶ。路地裏や水路のセットが見事。やくざ同士のチャンバラよりも、このセットの素晴らしさに目を見張ります。スクリーンで見られてホント幸せ。


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