人斬り

1996/12/28 文芸坐2
昭和44年の五社英雄作品。登場している役者たちが皆若い。
リアルで凄惨な殺陣は見ものだが話は弱い。by K. Hattori



 昭和44年のフジテレビ・勝プロ提携作品。監督は五社英雄。幕末の京都で活動した土佐勤王党と、「人斬り以蔵」と恐れられた剣客・岡田以蔵の生涯を描いた映画だ。以蔵を演ずるのは勝新太郎。土佐勤王党の首領・武市半平太に仲代達矢。彼らと同じ土佐出身のヒーロー坂本龍馬に石原裕次郎。以蔵のライバル、薩摩の剣客・田中新兵衛に三島由起夫というキャスティングも話題だったらしい。三島演ずる新兵衛は切腹して死ぬのだが、三島は翌年自衛隊駐屯地で本当に切腹してしまった。

 司馬遼太郎の「人斬り以蔵」に材を取った橋本忍の脚本は、武市半平太が属する政治的テロリズムの世界と、以蔵が求める単純な強さへの憧憬を対比させつつ、武市の政治的野望のために使い捨てにされる以蔵の哀れさを強調したもの。無邪気に己の強さだけを頼り、政治とは無関係に生きている以蔵の心の拠り所は、武市半平太しかない。だが、武市は以蔵のことを便利な殺し屋としか思っていないのだ。映画の最後の方で武市が「これからは戦争だよ。何千何万という血が流れるとき、ひとりの以蔵は不要なのだ」と大演説をぶって、その怪物性と非人間性を強調されている。

 でもこういう物語は、はっきり言って単調でつまらない。使うものと使われるものの対比。実際に殺人に手を染める下っ端侍と、その影で糸を引く黒幕。そうした役割分担が単純すぎるのではないか。以蔵が武市から離れられない理由は、彼がこの政治家に心酔しているからに他ならないのだが、仲代演ずる武市に、僕は人間的な魅力を感じられなかった。もっと二人の関係をねちねちと描いて欲しい。武市が以蔵に対して馬鹿ていねいにねぎらいの言葉をかけるとか、優しくして見せるとか、そんな場面があれば物語も生きてきたんだけどな。物語が甘ったるくて弱々しいから、映画の終盤で立ち回りが減ってくると、映画の活力自体が失われてしまう。

 この映画一番の見どころは、そのリアルな立ち回り。流麗でスピーディーな立ち回りを拒否し、不格好で荒々しい息遣いが聞こえてくるような、生々しく凄惨な人殺しを見せてくれる。血なまぐさい人殺しのリアリズムは身震いするぐらいだ。

 中でも映画の冒頭で描かれる、辰巳柳太郎暗殺の場面はすごかった。土砂降りの夜道、辰巳ひとりを3人の刺客が取り巻く。辰巳が受け止めていた刀の上から、二人がかりで力任せに首を押し斬ってしまう乱暴さ。首筋に徐々に刀が食い込み、辰巳の首から鮮血のほとばしる。この後一度刺客たちをふりほどいた辰巳は、刀を上段に構えて次の襲撃に備えるが、おびただしい出血に意識が朦朧としてきて刀がずるずると下がってきてしまう。新国劇のスター辰巳の端正な殺陣と、型を無視した刺客たちの殺陣の対比が生み出すリアリティー。

 映画にはこの後、狭い路地での浪人暗殺や、石部宿での集団立ち回りなどがあるのだが、どれも冒頭の殺しの凄惨さにはかなわなかった。それぐらい凄い場面なのだ。


ホームページ
ホームページへ