喜びも悲しみも幾歳月

1996/09/14 並木座
全国を転勤してまわる灯台守夫婦の姿を描く感動大作。
戦争をはさんだ市民の昭和史。by K. Hattori


 名もない市井の人物の半生を、時代背景や風俗を織り込みながら描く手法は、映画のひとつのジャンルになっているのかもしれません。僕はこの映画を観て、最近のアメリカ映画『陽のあたる教室』を思い出しました。主人公の結婚と新しい暮らしから語りはじめ、子供が生まれ、戦争があり、子供が大人になって結婚し、再び夫婦二人の生活になるところまで共通しています。評判のよかった『陽のあたる教室』ですが、生憎と僕はこの映画が駄目だった。そのかわり、この『喜びも悲しみも幾歳月』にはたっぷり感動させられました。

 物語は昭和7年から始まり、この映画が製作された昭和32年までを描きます。主人公は佐田啓二と高峰秀子演ずる灯台守夫婦。神奈川観音崎灯台を出発点に、北海道から九州まで、日本中の灯台を転勤してまわる夫婦と、同僚である灯台守の家族たちの物語です。これに加え、高峰の女友達のエピソードや、東京から疎開してきた家族との交流などが、物語に厚みを与えている。映し出される日本各地の四季折々の風景。灯台という俗世間からは隔離された環境で育まれる夫婦愛、家族愛。同僚職員や家族たちとの信頼関係。灯台守の孤独。映画はそうしたエピソードのひとつひとつをていねいに描き、その中に普遍的な日本の家族の姿を描き出している。

 全体で2時間半の大作です。日本各地をロケして、しかも四季の風景を織り込んで行くのですから、撮影には手間もかかったことでしょう。職員の宿舎や灯台内外のセットも手が込んでいます。当然だけど、灯台によって照光機の形や内装のレイアウトが違うんですよね。綿密な取材の賜物だと思うけど、こうした部分がじつに緻密に本物らしく再現されているのには感心しました。

 描かれている時代が時代だけに、戦争も取り上げられている大きな事件のひとつ。しかしことさらそれを強調し、言葉にすることのない抑制の利いた脚本と演出。この映画は「時代の中の家族を描く」ものであって、「家族を通して時代を描く」のが目的ではない。だから登場する家族はことさら自分たちの属している「時代」については語ろうとしない。

 それでも高峰の「どうせ勝ち目のない戦争なら早く終わればいいのよ」という台詞や、「戦争は殺し合いだから人が死ぬのは仕方ないけど、それに参加していない私や子供たちまで殺されなきゃならないのかしら」という台詞、兵隊送りに行った若い灯台員が「徴兵逃れの非国民」扱いされて佐田が怒り狂う場面などに、戦争の影が見える。もちろん直接的に、防空壕や機銃掃射や爆弾や灯台の偽装や竹槍訓練や疎開者が登場する部分もあるが、これらは時代の背景として描かれているだけだ。

 時代を経て若夫婦は中年夫婦になり、最後は娘を嫁がせ初老の夫婦になる。ここで恐るべきは高峰秀子の老けっぷり。メイク云々ではなく、後ろ姿や歩く姿や走りっぷりがもう老けている。台詞回しもじつに自然で、芝居の作為をまったく感じさせない。まさに天才役者だ。


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