新編 丹下左膳
隻眼の巻

1996/07/27 東京国立近代美術館フィルムセンター
昭和14年製作の中川信夫監督作品。主演は当然大河内傳次郎。
保存状態は悪いが、高峰秀子がめちゃめちゃ可愛い。by K. Hattori


 大河内傳次郎の丹下左膳ものだが、原作は林不忘ではなく川口松太郎、製作は日活ではなく東宝、監督は伊藤大輔でなく中川信夫。ニヒルでややグロテスクな剣士というオリジナルの設定を掘り下げ、若い侍が片目片腕を失い、丹下左膳として復活する様を描いている。

 『隻眼の巻』は『新編 丹下左膳』3部作の2作目にあたるエピソードで、これだけではちょっと話が通りにくい。映画に登場する丹下は、登場したその時から片腕が斬り落とされていて血まみれ。街道を奇声を上げながら、よろよろと今にも倒れそうになりながら走ってくる様子は鬼気迫る。この段階ではまだ両目がちゃんとついているのだが、この後橋の上で敵役の剣士に顔を切られる。この瞬間、隻手隻眼の剣士・丹下左膳が出来上がるわけですね。恐らく第1部のラストで腕を斬られたのでしょう。この委曲が知りたいのだが、映画の中で補足説明はない。丹下の顔を切った連中は、どうやら腕のことについては知らないらしい。あああ、気になる。

 傷ついた丹下を助け手当てをしたのは、たまたま通りかかった商家の主。奉公人の目に付かぬようにと、屋敷の奥にある部屋に丹下をかくまう。気味の悪い侍に自分の部屋を取られたとむくれているのが高峰秀子。彼女の存在が、この映画の魅力の8割ぐらいを稼ぎ出している。いやはや、とにかく可愛いのだ。丹下に向かって「気持ち悪い」だの「だらしない」だの言いながら、そのじつ少しずつ彼に惹かれてゆく少女。無邪気さと残酷さがない交ぜになった彼女の言動が、この映画にどれだけ活力を与えているかわからない。志なかばに傷つき倒れ仲間にもさげすまれ、どん底の状態に落ち込んだ丹下が、ゆっくりと力を貯え復活するこのエピソードに、高峰秀子は極上のユーモアと暖か味を与えている。

 ここに描かれている丹下左膳は、盲滅法強い荒唐無稽な剣の達人ではない。傷つき悩み、自らの存在理由を問うひとりの人間である。傷の癒えた丹下が、高峰のお供で浅草に出かける場面がすごく素敵です。「もっと離れて歩いてよ」と言う高峰に、ニヤニヤ笑って応える丹下。大小の刀を右の腰にぶら提げるのは丹下左膳の決まりごとだが、この次点ではまだ「刀を逆に差すなんておかしい」と高峰に言わせている。要するにまだ丹下左膳の姿が板に付いていない丹下左膳なのです。隻眼隻手の風貌容姿も、この時はただ滑稽なだけ。それを強調するように、丹下の着物の襟首には花が差してある。これはやはり、かなり異様ないでたちです。

 丹下左膳の姿が「かっこいい」と思うのは、既に観客が丹下左膳の映画を観て彼の剣豪ぶりを知っているから。この『新編 丹下左膳』では、そんな映画のなかの約束事を一度壊して見せる。隻眼隻手の男が黒襟の白い着物を着流しにして刀を左右逆にぶら下げているという姿の異様さと滑稽さが、他に類を見ないヒーローの装束へと意味を変えてゆく様を、この映画ではじつに丹念に描いている。ああ、この続きが観たい!!


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