ヒート

1996/06/02 日比谷スカラ座
パチーノとデ・ニーロはいい芝居を見せるが、演出がよくない。
思わせぶりで感傷的で甘ったるい、男のメロドラマ。by K. Hattori



 中途半端でだるい展開にはイライラしっぱなし。出演している俳優達は当代一流のくせ者ぞろいなのに、演出が平板でドラマに起伏と厚みがない。お話そのものは予定調和的に進行して行くのだから、途中のエピソードや気のきいた台詞、ちょっとしたお芝居や風景などで観客を引っ張って行かなけりゃ、この長丁場は持たない。エピソードの組立に腰がなく、物語が立体的に構築されていないことも、ダラダラした印象を強めている。全体の構成も疑問。どこにもクライマックスのない、射精せずに終わってしまったセックスのような映画だ。

 そもそもデ・ニーロとパチーノの共演シーンで、ひとつのフレームの中に絶対二人の顔が同居しないという不自然さ。これは一部に「あの二人のシーンは別々に撮って後から編集したんだ」などとまことしやかに囁かれていますが、これはそうした噂が発生することを見越して作られた意図的な表現でしょう。もし本当に共演が物理的に不可能だったのなら、後から二人をデジタル合成するなり、最近はやりようがあるもんね。それをああも露骨に「二人は本当に共演したんでしょうか?」的な絵として見せるなんて、やることがせこいんだよね。しかもそうした演出が物語に何の貢献もしていないでしょ。むしろ、全く異なる道を歩いてきた男同士の避けられない対決という、この映画本来のテーマが弱くなっている。

 「映画史に残る12分間の銃撃戦」というのも、ただドンドンパチパチ弾丸をばらまくだけで、何の創意も工夫も観られない間抜けぶり。活劇シーンの演出には才能が必要で、才能のなさは予算や物量でごまかせないという事実が、この場面からは見て取れる。そもそも、なんでこのシーンがこの場所にあるわけ? 僕にはそれも理解できなかった。この後、映画の長いこと長いこと。何と言っても、襲撃シーンの前に伏線を全部張っておかなかったことが致命的でした。この映画は銀行襲撃とその失敗、警官隊との銃撃戦をクライマックスにすべきなのに、そう機能していないんだよね。

 芝居全体に不必要な間が多くて、それが物語をしまりのないものにしている。たぶん監督はそうした間を「雰囲気」だと思っているんでしょうけど、その雰囲気は監督とごく一部の観客でしか共有できない雰囲気なんだ。むしろ多くの観客にとって、こんな間は邪魔でしかない。映画が終わった直後、僕の回りだけでもかなりの客が「長かった〜」という感想を漏らしていたけど、それは僕も全く同感。この映画はもっとタイトに編集できるよ。

 見せ場となる場所ごとにピシッと決まる絵があれば、この長さも相殺されたのかもしれないけど、生憎とそうしたシーンは皆無。甘っちょろい男の美学ゴッコは、退屈さのあまりあくびが出た。


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