徳川女刑罰絵巻
牛裂きの刑

1996/03/31 大井武蔵野館
牛裂きと鋸びきの2話オムニバス。内容は鋸びきが上。
エログロの向こうに男と女の切ない気持ちが見える。by K. Hattori


 ひとつのパッケージに見えながら、中身はふたつにセパレート。箱のひとつはキャラメルで、別の箱には楽しいおもちゃと言えば、グリコのキャラメルです。この映画もちょうどそんな状態で、1本の映画かと思っていたら中身は中編映画の2本立て興行。一粒で二度美味しいグリコ的展開なのです。

 ただこの映画の場合、どちらがキャラメルでどちらがオマケだかわからないところがチト苦しい。オープニングタイトルの出演者には、川谷拓三の名前が一番最初に出てきますが、タイトルにもなっている「牛裂きの刑」のエピソードには川谷の出演がなくて、なんだかはぐらかされた気分です。川谷は後半の「鋸挽き」のエピソードに登場しますが、映画のできとしてはこの後半の方がずっと優れている。それだけに、タイトルの「女刑罰絵巻」とか「牛裂きの刑」は、若干羊頭狗肉の感があります。

 映画の前半「牛裂き編」は、長崎奉行の隠れキリシタン弾圧をひたすらネチネチ描いた陰鬱な映画。目玉をむいた汐路章の大げさな悪党ぶりを誇張することで、血生臭い残虐な描写をマンガの域に突き抜けさせようという演出意図はよくわかる。しかし大熱演の汐路に比べると、隠れキリシタンの娘と若い侍の恋物語が生真面目すぎで、全体に湿っぽいべたべたした感覚がぬぐえない。中途半端なリアリティが、この映画を平板なものにしてしまった。

 これに対して、後半の「鋸挽き編」はじつに良くできている。川谷演ずる小悪党が足抜けさせた同郷の女郎と共に詐欺や置き引きなどの悪事を重ね、最後は美人局で引っかけた相手が十手持ちでお縄になるまでが、庶民的な楽天的バイタリティーとしてうまく描かれているのだ。残酷な拷問場面ですら、川谷と女郎のよきパートナーぶりが引き立って、けっこう泣ける場面になっている。

 川谷拓三は牧口雄二監督のデビュー作『玉割り人ゆき』で、やはり女郎を足抜けさせようとし、この時は失敗する役だった。捕らえられた川谷は「わしは知らんぞ〜」と往生際の悪いところを見せ、その代償として相手の女郎に性器を切り取られたのだが、この映画では川谷が逆に、女郎を足抜けさせようとした男の性器を切断する役目に回される。この映画では奉行所で捕らえられた川谷が、「わしが全部ひとりでやったことや〜」と女をかばう侠気を見せる場面があり、僕はここでちょっと感動した。

 共に鋸挽きの刑を宣告され、これで一緒に死ねると喜んでいた二人が、最後の最後にまた引き離されてしまう哀れさ。道ばたに残された川谷は、夜中にたまたま通りかかった酔っぱらいによって首を挽き切られてしまう。再び女郎暮らしに戻った女に、川谷の声が優しく語りかけるラストシーン。人間に対する優しさに満ちたエンディングだ。


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