玉割り人ゆき
西の廓夕月楼

1996/03/24 大井武蔵野館
幸せに向かって歩きだそうとするゆきに、運命は味方しない。
北陸の地にやるせない男と女の気持ちが交差する。by K. Hattori


 この映画は『玉割り人ゆき』の続編ですから、前作はそれなりに人気があったのでしょう。この映画もそうですが、このシリーズは正味1時間程度の添え物映画。スター俳優が不在だし予算もそうたくさんはないはずですが、美術セットなどは東映の層の厚さを感じさせる立派な物で、今これと同じ物を新人監督が作るのは大変かもしれません。スタジオシステムがあってこそ、はじめて作れた映画でしょう。

 僕は日本映画の衰退原因がスタジオシステムの崩壊だけにあるとは思いませんが、スタジオシステムの維持なしには誕生し得ない才能や作品という物があることも事実でしょうね。アメリカのスタジオシステムだってとうの昔に崩壊していますけど、彼の地にはメジャー配給網とは別に、それなりの配給規模を持つインディーズ映画の世界があります。日本にも独立系の映画会社がありますけど、独自の配給網を持ち得なかったから、結局メジャー配給に作品を配給する下請けプロダクションになってしまった。

 牧口監督は昭和50年代前半に9本の映画を撮った後、今現在まで20年間映画を作れずにいます。日本にもインディーズ市場があれば、これだけの才能ある人がみすみすくすぶっている理由がないんだけどなぁ。まぁこれは映画本来の話からは脱線。

 この映画は前作の京都島原遊郭から舞台を金沢西の廓に移し、玉割り人ゆきと金沢の廓の若旦那の悲恋を描いています。でも、ゆきの玉割り人としての仕事は映画の最初に少し登場するだけで、あとは何しているんだかよくわかりませんね。この物語では、ゆきが「玉割り人」である必要はなくなってしまった。女が女に性戯を仕込むというレズビアンチックな場面がないのは残念。墓場でのラブシーンで、潤ますみがパンティーをはいたままなのも残念。

 物語はゆきと若旦那のエピソードに、若旦那の昔の女との三角関係をからめて進行して行きます。この昔の女ってのがやっかいな女で、若旦那は自分の父親の仇であると同時に、自分にとって初めての男だから、その想いは交錯して愛憎入り交じった血みどろの執着になる。彼女の愛は倒錯し、重要な登場人物のひとりである画家伊藤晴雨の言葉を借りれば「自分だけでなく周りの者も地獄に引きずり込む真性のマゾ」になっている。女は怖いね。

 ところで、前作で非常に気になったのは、主人公玉割り人ゆきこと潤ますみの前歯にあったすき間。濡れ場できれいにソフトフォーカスのかかった映像を作っても、彼女のアップになると少し開いた口から前歯のすき間がしっかり見えて、興醒めすることこのうえない。ああ、あそこで前歯さえちゃんとしていれば、もっと映画に入り込めるのに……、と思ったのは僕だけではなかったようで、この続編ではちゃんと前歯が治っていました。


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