ザ・マシーン
私のなかの殺人者

1996/02/25 銀座シネパトス2
ジェラール・ドパルデューが天才科学者? 連続暴行殺人犯の間違いでしょ?
と思っているとやっぱり入れ替わりました。by K. Hattori


 見た目で人を判断してはいけない。そんなことは重々承知している。でもジェラール・ドパルデューって俳優は、どう見たって頭脳労働者を演じられるようには思えないんだよね。もっとも「ドパルデューは頭良さそうには見えない」というのは僕ひとりの個人的な見解ではなくて、例えば彼のアメリカデビュー作『グリーン・カード』は、ドパルデューのいかつい風体を逆手にとって、相手役であるアンディ・マクドウェルの偏見をうまく演出していたでしょ。世界中誰が見たってドパルデューは下層階級の労働者がお似合い。『ジェルミナル』で真っ昼間から奥さんとセックスしていた炭鉱労働者あたりが、彼のはまり役なんだよ。

 彼がエリート脳外科医を演じるこの映画も、導入部はドパルデューに対する先入観が邪魔してどうもうまくいかない。「こいつは絶対に脳外科医なんかじゃない。もっと頭の悪い下品な人間だ」と思っていたら、やっぱりそうだった。脳研究に打ち込むドパルデューが発明した精神交換装置で、脳外科医とインポの連続女性殺人犯の人格が入れ替わると……あら不思議。「ドパルデュー=エリート医師」より「ドパルデュー=性犯罪者」の方がしっくりくるじゃないか。ま、当たり前だけどね。

 善良な医師の顔の下には残忍な殺人者の人格が宿り、冷酷な殺人鬼の顔の下には善良で有能な医師の人格が隠れているというのがこの物語の骨子。ところがドパルデューは登場した早々好色で下品な男だから、彼が殺人者でも全然違和感がないんだよね。かえってぴったりしてしまう。さらに言えば、この映画で殺人鬼を演じた俳優の風貌には、人を震え上がらせるだけの凄みがない。顔色の悪いさえない中年男でしかないんだもんね。

 映画ではまずドパルデュー演ずる医師と殺人鬼の人格が入れ替わり、さらに殺人鬼が医師の息子の身体を乗っ取る。終盤は医師とその息子と殺人鬼の全員が、互いに互いの身体に移動してわけが分からない状態。ドパルデューは息子の人格が身体に入って「暗いよ〜、恐いよ〜、痛いよ〜、え〜ん」なんて大真面目にやってますけど、ここまで来るとほとんどギャグ。三者が揃うとなんだか馬鹿みたい。

 ところで、金持ちの老人が健康で若い男の肉体を乗っ取り、不老不死を得ようとするという映画がありましたね。『フリージャック』です。これに比べると身体を移動しても女を刺し殺すことにしか興味がわかないなんて、馬鹿な話だよなぁ。

 (絶対ないだろうけど)この映画をアメリカでリメイクするときは、エリート医師を『デーブ』のケヴィン・クライン、殺人鬼を『ザ・シークレットサービス』のジョン・マルコビッチでお願いしたい。芸達者なふたりだから、これは恐い映画になるぞ。


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