マイ・フレンド・フォーエバー

1995/12/10 三軒茶屋東映
『依頼人』のブラッド・レンフロと『ジュラシック・パーク』のジョセフ・マゼロ。
子役の存在感が光るが、アナベラ・シオラの母親役もよい。by K. Hattori



 確かに『依頼人』に出演したブラッド・レンフロは素晴らしかったけど、この映画の彼は駄目。これは明らかにキャスティング・ミスだ。レンフロは『依頼人』での如才なく立ち回る少年役がはまりすぎていて、もはや無邪気な子供には戻れないのだ。自らと家族を守るため、老獪な鬼検事をのらりくらりとやり過ごし、犯罪組織を向こうに回し、なけなしの1ドルで女弁護士を雇った聡明な少年が、なんで雑草を煎じて病気の子供に飲ませなきゃならないのでしょう。『依頼人』のレンフロが、なぜそんな馬鹿なことをやるんだろう。

 レンフロが演じると、悪意のない子供の思いつきや口から出任せや悪戯も、悪意があるように見えてしまう。ジョゼフ・マゼロが腹こわすまでチョコバーを食べさせられるシーンも、ただ単に他人の小遣いで自分がチョコバーを食べたいだけに見えるじゃないか。商店で味見をするシーンも、無邪気な悪童ぶりを通り越して嫌味だ。あげくに本人がいやがっているのに怪しげな草を煎じて飲ませたあげく、中毒を起こさせて病院送り。これはあなた、一緒に遊んでいるんじゃなくて、ほとんどイジメですよ。まったく、見ていて不愉快になる。

 病院で医者や家族をからかって遊ぶ様子も、レンフロがやると洒落にならない。そんなことやっているから、いざって時に友人の死に目にあえないのだ。

 こうした効果はレンフロに罪があるわけじゃない。これは演技力がどうこう、演出がどうこうという問題じゃないのだ。ただ、脚本とキャスティングの相性が悪かっただけ。キャストが決まった時点で脚本に手を入れればよかったんだろうけど、それを怠った製作者が悪い。

 映画の中にはエイズに対する様々な差別が標本のように並べられ、何の切実感も痛ましさもない。ジョゼフ・マゼロが自らの手を傷つけて「僕の血は毒だ」と詰め寄るシーンは、この映画のひとつのクライマックスになる場面だが、なんでこんなに盛り上がりに欠けるのか理解に苦しむ。ここには屈折した高揚感が必要だろうに……。主人公の母親が無知で露骨なエイズ差別主義者なのだが、そもそも主人公と母親との関係性がうまく伝わってこないため、このあたりのねじれた空気が描けていないのも残念。

 この映画で得るところがあるとすれば、まず第一にアナベラ・シオラの押さえた熱演。息子を看取った後、レンフロを車で家に送る場面はよかった。ま、これはシオラの実力で、予想外の収穫というものではない。それより『ジュラシック・パーク』『激流』と着実にキャリアを積んできた、ジョセフ・マゼロの存在が光る。限られた命を精いっぱい生きた少年の姿を、じつに自然に演じていて好感が持てる。


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