スモーク

1995/12/05 恵比寿ガーデンシネマ
ハーヴェイ・カイテルが煙草店の店主を演じる人情ドラマ。
人間の優しさや強さが胸を打つ感動作。by K. Hattori



 禁煙中の人がこの映画を観ると、禁煙の誓いを破ること必至。映画のタイトルも、そのものずばり『スモーク』だ。登場する男たち、女たちが、じつに旨そうに煙草を吸うのがうらやましくてしょうがない。僕は煙草をやめてだいぶになるけれど、劇場から一歩出た瞬間に「どうです1本」とすすめられたら迷わず受け取って火をつけていただろう。

 ブルックリンにある煙草屋の主人ハーヴェイ・カイテルとその店の常連である作家ウィリアム・ハートが物語の中心で、途中からフォレス・ウィテカーがからんでくる。カイテルやハートはともかくとして、ウィテカーというのは不思議な役者だ。彼をこの前見たのは『ブローン・アウェイ』の生意気な新入り警察官役だったと記憶するが、あの役はどう見たって20代の青年役だぞ。今回はティーン・エイジャーの子供を持つ父親役。まったく、むこうの役者は年齢不詳だということを痛感するなぁ。

 ハーヴェイ・カイテルが毎日店の前で写真を撮っているんだけど、そのカメラがキヤノンAE-1。写真を撮る男の映画といえば今年は『マディソン群の橋』があったけれど、あの映画でイーストウッドが愛用していたカメラはニコンだった。これでキヤノンとニコン両社は互角の勝負と言えよう。ニコンは『マディソン群の橋』を使って広告展開しているから、キヤノンもぜひ『スモーク』を使って広告を作ってもらいたい。ちなみに世のカメラ好きには大きく分けてニコン派とキヤノン派がいるが、僕はオリンパス派なのでどちらにも組しない。公平な立場で映画を観られるのである。

 物語は典型的な人情話の集積で、この手の話に弱い人にはいいかもしれない。ただ残念ながら僕はこの映画で泣けなかった。どのエピソードも頭では「いい話だ」ということがわかるのだが、それが心に響いてこない。これは映画が力不足なのではなくて、僕が映画のテーマを受けとめるだけの感覚を持ち合わせていないからであることは明か。僕があと10か20ほど歳をとり、もっといろいろな人生経験を積めば、この映画の味わいも理解できるようになるに違いない。親と子の関係がこの映画の中心テーマであることは、親子の再会が3組も登場することで見て取れるんだけど、この再会劇は全て親の視線から描かれていて、どちらかというと子供の世代と視線が近い(と自分では思っている)僕には感情移入しにくいのだ。

 最後にカイテルが作家に語るとびきりのクリスマス・ストーリーは、O・ヘンリーの短編小説のような味わいがある。一通りの話が終わった後で、エンドロールに合わせて物語を映像化してみせると、やはりこれにはちょっとばかり感動した。あの黒人のお母さんの表情に、思わずほろりと来るのでした。


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