鬼平犯科帳

1995/10/11 松竹第一試写室(試写会)
テレビで人気の鬼平がスクリーンに登場したのはいいが、
中身はテレビのスペシャル版とかわらない。by K. Hattori



 テレビの人気時代劇「鬼平犯科帳」がついに映画になりました。僕は池波正太郎の原作が大好きなので、テレビ版の鬼平もなるべく見ています。中村吉右衛門の鬼平はまさにはまり役で、他の時代劇にない風格さえ感じますが、この番組にひとつ難があるとすれば、それは原作の魅力をテレビという枠の大きさに切りそろえてしまい、原作の本当においしい部分がうまく生かされていないところでしょうか。

 原作は事件そのものよりもむしろ登場する人物たちの心の動き、江戸時代の人情風物、中心となって物語を引っ張る鬼平こと長谷川平蔵の魅力がこのドラマの命なのです。ただ、それをテレビの放送時間に合わせてパッケージした段階で、そうした魅力の多くは薄められ、切り捨てられ、もっぱら物語の進行に重きを置いた、普通の時代劇になってしまうのですね。あれだけ豪華な配役陣でありながら、芝居と芝居の間にある余韻のようなものがまったく配慮されない編集と、テレビにありがちな説明過剰な展開には、ときどきうんざりするのです。

 テレビの枠では、1時間の番組も正味40分ほどしかありません。1時間半のスペシャル版でもドラマ本体は1時間です。この時間で原作の味わいをすべて映像にするのは至難の業ですから、僕としてはどうしてもこれを映画にして、たっぷりの時間をかけ、充実した芝居を見せて欲しかった。そんなわけで、今回の鬼平映画化を大喜びで迎えたわけです。

 ところが、出来上がった映画は僕の期待していたものとは違いました。僕としては1時間半かけて、原作のエピソードのひとつをじっくりと見せて欲しかった。あるいは、原作にいくつかある長編を、映画というひと続きの時間の中でたっぷりと料理してほしかったのです。テレビと同じものを、ただ大きな画面で見たかったわけではない。

 物語は原作から「蛇の眼」「狐火」のエピソードを借りながら、後半はオリジナルの物語を展開させます。ところが、この前半と後半がうまくひとつの物語にならないのですね。密偵おまさが盗賊狐火の二代目と所帯を持つエピソードは、男と女の綾、配下の密偵たちを気遣う平蔵の気持ち、兄弟の確執など、さまざまな要素が入り交じる、原作の中でも完成度が高く、印象に残る一話。本来なら、この一話だけをもっと掘り下げて、1本の映画にすべきだったのではないだろうか。その方がはるかに見応えのある映画になったはずだ。僕はこの程度の内容なら、正直言ってテレビスペシャルでかまわないと思った。

 それにしても、岩下志麻が平蔵の息子辰蔵にしなだれかかる場面の気持ち悪さ。こんな場面はいらない。岩下が平蔵と別れる場面で、短い回想シーンを挿入するのも興ざめ。サービスのつもりなら、もっと若い女を出してくれ!


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