君を忘れない

1995/10/03 松竹セントラル
旬の若手男性タレントを総動員して描く特攻隊員たちの青春。
誰も彼も戦争中の男たちには見えないぞ! by K. Hattori



 キムタク人気のおかげか、戦争映画にも関わらず映画館の客の9割以上が若い女性という異常事態。戦後50年ということで今年は邦画各社から記念映画が出そろった感じだが、この映画の客層だけは異質だ。おそらく、普段は映画館に足を運ばないような人たちも来ているのでしょう。理由は何であれ結構なことだ、と映画鑑賞映画館派の僕は思う。これで映画の中身が抜群に面白ければ、映画館に足繁く通うファンも増えるのでしょうが、残念ながらこの映画にはそれだけの力がないように思える。

 戦争映画よりむしろ青春映画を目指した映画なんだろうけど、これじゃ僕にはとても共感できない。各地の航空隊から集められた落ちこぼれパイロットが鬼教官にしごかれて、飛行機乗りとしても、人間としても成長して行くという、いかにもありがちな設定のドラマ。隊員同士の確執や友情、それぞれの生い立ちを示すエピソード、恋、別れ、などなど……。まぁ、これはいい。こんな設定の映画は腐るほどあるし、その中には傑作佳作も多いのだ。ただ、訓練を通して成長して行く彼らには、特攻機のパイロットとして敵艦に突っ込むというゴールしか用意されていないわけで、その点がこの物語にどん詰まりの行き場のなさ、息苦しさを与えている。映画は若者たちの溌剌とした表情をなるべく明るく撮ろうとしているが、この展開じゃそれもチグハグなのだ。

 若者たちの成長を描くなら描くで構わない。成長した若者たちを、敵艦への体当たりという用途にしか使えなかった戦争のバカバカしさ。バカバカしいと知りつつ、その中を必死に生きた若者たちの哀れさ。ま、普通に演出すればラストは悲壮に盛り上げて、戦争への怒りを滲ませるんでしょう。この映画の場合なら、そうするのが正攻法の演出だったはず。ただ、実際の映画ではそうしていない。最後は明るい音楽をBGMに、若者たちがニコニコと出撃して行く。状況のギャップを利用した、対位法的な演出になっているかと言うと、そうでもない。完全に焦点がぼけている。

 しかし、そんなことよりもっと気持ち悪いのは、この映画の主張するメッセージの歯切れの悪さなのだ。この映画からは「戦争は間違っている、特効攻撃はバカげてた、戦争は負けるべくして負けた、でもその中で戦った兵士たちは立派だった」という、アメリカ映画ならごく当然のメッセージが見える。しかし、それをあまり声高に言えないのがこの日本。出撃前の若者たちが自問自答するこの場面、いかにも弱々しい声しか聞こえてこない。出撃する若者たちは円陣を組んで「向こうで会おう」と声を掛け合う。これは露骨に「靖国神社で会おう」の言い替え、用語の自主規制ですね。こうしたモロモロが、結局この映画を中途半端なものにしている気がする。


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