明治侠客伝
三代目襲名

1995/06/18 文芸坐2
今ニュープリントでこんな素晴らしい映画が観られる幸福。
加藤泰が撮った仁侠映画の傑作。by K. Hattori



 作られた当時はどうってことのない娯楽映画の1本に過ぎなかったんだろうけど、今観るとそのていねいな作りと演出にびっくりしますね。今回はニュープリントでの上映ということもあり、発色も鮮やか。細部まで作り込まれた美術セットや、役者の衣装のひとつひとつまで、今とは比較にならないほど贅沢に映画を撮っていることがわかります。

 それにしても、ワイド画面を加藤泰ほど効果的に使う監督もなかなかいないのではないでしょうか。僕は、ワイド画面が必ずしも人間の視覚にとって自然なものだとは思っていないのです。生身の舞台は横長ですが、あれは構図が常に固定されているからまだいい。映画の場合カメラが動くし、クローズアップがあればロングショットもある、登場人物も増えたり減ったり、動きの激しい場面があれば静かなシーンもありで、それをすべて同じ画面比で切り取るのはかなり不自然だとも思います。

 しかし、加藤泰の映画は横長の画面で左右の広がりを、奥行きのある構図とセットで立体感を表現するのはもちろん、極端な仰角カットや俯瞰カットを併用して、画面に高さを感じさせるのですね。この映画で言えば、冒頭の手締めのシーンからして既に真俯瞰の映像が現れ、それが素晴らしく効果的なのです。

 とにかく、画面のひとつひとつが驚くほど完成度の高い仕上がりです。構図が完成されていて、スキがない。また、非常に清潔な感じがする映像ですね。役者の芝居も相まって、画面に心地よい緊張感が満ちています。これが監督の美意識なのでしょう。

 お話の方は、パターン通りのやくざ映画。男一匹、こうと決めたら我慢に我慢を重ね、自分の信じる道を進むだけ。だが、どうあっても行く道ふさごうとする悪い野郎がいるもんだ。許せねぇ。男はただひとり、幾多の敵が待ち受ける中に飛び込んで行く。

 祭の雑踏の中でアラカン演ずる親分が、敵対する土建屋の雇った刺客に刺される場面の緊張感。巡査が刺した男の面通しに現れると、親分は男の顔をキッと見つめる。傷口から血がしたたり、足下に流れると、さりげなく鶴田浩二が手ぬぐいを投げてそれを隠す。こうした場面のかっこよさ。また、藤純子演ずる娼妓と鶴田の感情が、ゆっくりと高まって行く描写なども、ほとんど様式化された美意識に貫かれている。

 加藤泰の映画では〈情念〉という言葉が引き合いに出されることが多いのだが、押さえつけていた感情がふつふつとわき上がり、やがて外にほとばしり出る様子は、ほとんどエロチックですらある。この映画の場合、あらわになった男の胸に女が顔をうずラストシーンなど、血と汗、化粧と鬢付け油の匂いが感じられて、エロティシズムの極みだなぁ。


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