ミルク・マネー

1995/05/11 東劇
メラニー・グリフィスが心優しい年増の娼婦を演じてはまり役。
男やもめのエド・ハリスが素敵です。by K. Hattori



 物語の展開は最初からバレバレなんだけど、思春期を目前に控えた少年たちの生活が生き生きと描かれているのが素晴らしかったことと、台詞や細かなエピソードでツボを押さえた脚本にしびれることができる意外な拾いもの。暴力とセックスを描いた映画でありながら、そのどちらもがほのめかす程度の描写にとどめてあり、メラニー・グリフィスという化粧くさそうな女優が主演しているワリには、とても上品な映画に仕上がっている。

 共演のエド・ハリスもよかったが、子役のマイケル・パトリック・カーターの表情がじつに素晴らしかった。あまりきれいな顔立ちとは言えないが、丸顔で表情豊かな様子は(例えが古いけど)ミッキー・ルーニーみたいです。まゆ毛ひとつでクルリと表情が変わる憎めない顔立ちはあまり今風ではないけれど、映画の種類によってはすごい使い方ができそうですね。ちょっと楽しみです。

 気のいい娼婦がちょっと傷ついた男に出会って、彼にとって永遠の天使になるという物語はアメリカ映画によくあるパターン。すでにひとつのジャンルになっていると言ってもいいでしょう。最近では『プリティー・ウーマン』がまさにこのタイプの映画でした。娼婦をやくざの情婦にまで広げると、アメリカ映画の何割かはこの手の映画になるのではないでしょうか。つまり、さんざん触りつくされて、手垢のついたジャンルだということです。

 でも逆に、手垢がついてしまうほどみんなが触るということは、それだけそのジャンルの映画をみんなが好きだということに他ならないのですね。ていねいに手垢をふき取ってやれば、その下には光輝く宝石が輝いているのです。この映画では、子供の視点というフィルターを駆使することで、手垢をきれいに拭うことに成功しています。

 思春期直前、育ち盛りの子供たちだけが持つ躍動感と、世の中の中心から少しずれたところにいる大人たち。少年の女性の身体やセックスに対する興味は、背伸びした好奇心から発しているもの。肉体的な欲求から発するものではないから、少年3人がお金を集めて娼婦に裸を見せてもらおうと走り回っても、物語が生臭くならないのね。これが『スタンド・バイ・ミー』ぐらいの年齢になると、もうダメなのよ。とたんに生臭くなる。ほんの2年ぐらいの違いなんだけどね。

 古風な物語展開と正攻法の演出で、見ていてすごく安心。また、この手の映画にはそうした演出が似合ってもいる。隠れ家で父親のトムとVが抱き合うシーンなども、あまりべたべた見せないのがよろしい。会話はいきいきしているし、細かな伏線もピリリと刺激的な脚本です。最後の落ちでホロリとさせ、最後に少しクスリと笑わせる。うまいものだねぇ。



ホームページ
ホームページへ