ポルノ時代劇
忘八武士道

1995/05/07 大井武蔵野館
意味もなく女の裸がたくさん出て来るところにこの映画の真価がある。
大まじめな顔で助平を極める丹波哲郎がうらやましい。by K. Hattori



 無法の限りをつくして役人に追われる身となった無頼の浪人が、遊里・吉原の陰の支配者に助けられ、吉原のライバルである非合法売春やそれを助ける役人連中を、斬って斬って斬りまくる。吉原を裏から支配する忘八者は、非道な稼業のために人間としての心を捨てた人々である。喜怒哀楽を表に出すことなく、幕府開闢以来続いてきた既得権益の維持のために血を流す、お上公認の裏組織(矛盾だなぁ)なのだ。雇われ浪人を演ずるのは丹波哲郎。両の手に大小の刀を振りかぶりながら、近づく者たちをバサバサ斬り払う様子は豪快の一語。

 タイトルに〈ポルノ〉とつくだけに、かなり無理してでも女性の裸がたっぷりと登場します。理屈なんてどうでもいいのです。主人公を敵の火攻めから救った女忘八たちが、素っ裸でぞろぞろ歩いて帰ろうと、忘八の元締めのもとに正月の挨拶に訪れた吉原の女たちが、なぜか全員一糸まとわぬ姿であろうとも、一切問題なし。おっぱいがぞろぞろ、おしりがぞろぞろ。あまりの量に、エロチックを通り越して、迫力があります。それにしても、昔は脱ぎっぷりのいい女優がたくさんいたんですねぇ。

 素っ裸の女忘八たちが、縛りつけられた若い外人女を責めるシーンなど、なぜそこに外人の女がいるのかという疑問なんかお構いなしですからねぇ。この映画の中で僕が一番気に入ったのは、じつはこのシーンなんです。理論理屈時代考証を超越した、荒唐無稽で出鱈目なエッチさがたまりません。二番目のお気に入りは、夜鳴きそば屋で襲われた主人公を助けた女忘八たちが、次々と素っ裸になるシーンかなぁ。真っ黒に焼け焦げた着物を小柄で切り裂くと、中から真っ白な女の裸体がするりと抜け出す。主人公のまわりで円陣を組んだ全裸の女たちを、ローアングルでぐるりとカメラがなめて行くところなど、助平ここに極まれりという感じです。ドキドキ。

 丹波哲郎の豪快な殺陣と女たちが織りなすエロチックなシーンに比べると、ドラマ部分はいささか食い足りない。これはなまじ原作(小池一雄・小島剛夕)があることが、物語の大胆な飛躍を妨げているようにも思える。控えめに見えながら、じつは抜け目のない悪党・伊吹吾郎の存在は、劇画には必要でも、少なくともこの映画には余計だったかもしれない。また、主人公がめっぽう強いのは構わないとしても、どんな危機も危機と感じられないぐらい強いのは少々いただけない。せめて切り込みに向かった隠れ茶屋に、彼の腕に匹敵する用心棒のひとりも置いてほしい。ライバルがいてこそ、剣豪の腕も冴えて見えるというものだ。

 グロテスクなシーンがあまりないので、それを期待する人には物足りなかったりしてね。僕は満足。



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