レオン
狂暴な純愛。

1995/03/25 丸の内ピカデリー2
レオンとマチルダの関係に監督が本気になっていないのが欠点。
『ニキータ』に比べりゃカスみたいな映画。by K. Hattori


 アメリカ映画のダイナミズムと、フランス映画の繊細な描写のハイブリットとして、抜群の完成度と面白さを誇っていた傑作『ニキータ』。その登場人物たちの中でもひときわ印象的だったのが、ヒゲ面の大男ジャン・レノが演じる、掃除人ビクトールだった。目的遂行のためには手段を選ばず、ブルドーザーのような突進力で突き進むプロフェッショナル。そんなビクトールという役柄を下敷きに、監督リュック・ベッソンが新たに書き下ろした、彼自身のアメリカ進出第1弾。ジャン・レノがニューヨークの掃除人レオンに扮し、周りをゲイリー・オールドマンやダニー・アイエロといった芸達者な連中でかためるバイオレンス・アクション。『ニキータ』惚れこみ、『アサシン』に失望し、やっぱりベッソンはすごかったと感慨も新たにしていた僕のような観客に向けて、ベッソンが放ったひとつの解答がこの映画なのだろう。

 が、結局問題は映画が面白いか面白くないかなわけで、残酷なようだけど、僕にはこの映画がぜんぜん面白くなかったのだ。悪徳警官に家族を惨殺された少女が、復讐のために殺し屋を雇う。殺し屋は少女との交流の中で、自分の中から失われていた感情の営みを取り戻して行く。まぁ、そんな話だ。

 はっきり言って、そんなに目新しいアイディアとは思えないが、『ニキータ』だってアイディアに限れば斬新とは言えなかろう。結局、ギャング映画という器を借りて、中身にどんな料理を盛り込むかが、作り手の腕の見せ所。『ニキータ』には見るべきものがあった。はたして『レオン』にそれはあるか。

 『レオン』は中身のない、スタイルだけの三流ギャング映画だ。物語もステレオタイプだし、描写スタイルも、コクがなく物足りない。なにしろスタイルに限れば、僕たちはもうコーエン兄弟の『ミラーズ・クロッシング』を観てしまっている。あの映画も中身は古風なギャング映画だったけど、スタイルは最高に洗練されていた。コーエン兄弟のエレガントさに比べれば、この映画のベッソンなどクズだ。

 僕は『ニキータ』『グラン・ブルー』『アトランティス』とベッソンの映画を観てきたが、新作『レオン』は中でも最低ランクの映画だと断言できる。なにしろ、観るべきシーンがひとつもない。オープニングのレオンの仕事ぶりも、ちょっと白々しく感じたし、予告編でも使っていた、オールドマンがマチルダ一家のアパートを襲撃するシーンは「嵐の前の静けさは最高だな」というオールドマンの台詞までが文字どおり最高で、ドアを吹き飛ばして男達が中に入ると退屈の極みに至る。

 『ニキータ』の面白さってのが、結局はベッソンのアンヌ・パリローに対する個人的愛情の発露であったということを証明する作品だと思います。


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