今そこにある危機

1995/01/05 丸の内ピカデリー1
ハリソン・フォード扮するジャック・ライアンが右往左往。
脇役を演じたウィレム・デフォーの方が格好いいぞ。by K. Hattori


 なんだか冴えない映画だった。CIAの副長官ジャック・ライアンは、家では自分の提案した台詞を大統領がしゃべったとテレビの前ではしゃいで娘に変な目で見られるし、同僚からは無邪気なボーイスカウトあつかいされて蚊帳の外に置かれるし、FBI長官の飛行機を迎えたときはひとりだけ髪の毛ぼさぼさだし。最初から最後まで、なんだかくたびれているんだなぁ。これではまるで、教壇の上のインディアナ・ジョーンズ教授ではないか。ハリソン・フォードは、ビールの広告に出ていた時の方が、まだシャキッとしていたぞ。この優男ぶりは、『ワーキング・ガール』のノリに近いかもね。

 この主人公、ぼんやりしているくせに、なぜか上司のウケがいい。「上役というものは得てして無能な下役をかわいがるものだなぁ」と、そんな風に思ってしまう。軍事アナリストのジャック・ライアンが無能だとは思わないが、ハリソン・フォードが演じる今回のジャック・ライアンは、どう贔屓目に見ても有能だとは思えない。馬鹿正直と愚直な誠実さだけが取り柄の、冴えない中年男なのだ。

 ライアン・シリーズの映画化第1作『レッド・オクトーバーを追え』で主人公を演じたアレック・ボールドウィンが、続編『パトリオット・ゲーム』でフォードにバトンタッチされたとき、フォードのライアンが素晴らしかったので、僕はこの主役交代劇もやむを得ないと感じた。でも今回、『今そこにある危機』を観て感じるのは、フォードじゃやっぱりライアンは演じられないということなんだ。ボールドウィンも最近は成長著しいから、いっそ彼に戻した方がいいかもしれない。僕は今回のライアンにかなり幻滅させられた。

 アクション映画としても、シーンの組立にスピード感とサスペンスが感じられない。ハラハラもドキドキもワクワクもないアクション映画なんて、観ていても退屈なだけだ。こうなった原因は、アクション・シーンの視点を、ほとんど主人公の視点でしか描かないことにある。主人公に弾が当たらないなんてことは観客ならみんな知っている。カメラが主人公に密着するということは、カメラもまた、弾の飛んでこないところにいるということなんだ。そんな映画の、どこにスリルやサスペンスがあるんだろう。

 ここだけの話だが、じつはこの映画と『パトリオット・ゲーム』中間に当たるエピソードが映画化されていて、それにもフォードが主演していることはよく知られている。ライアンがたまたま出くわしたコンビニ強盗に頭を撃たれ、それが原因でボケボケのいいひとになってしまう顛末を描いた映画だった。妻役はアン・アーチャーではなく、アネット・ベニング。フォードの役名はライアンではなかったかもしれないが、映画のタイトルは『心の旅』という。


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