カリフォルニア

1994/07/07 テアトル新宿
悪漢ブラッド・ピットより恋人役ジュリエット・ルイスの芝居が光る。
当時二人は実際に恋人同士だったのかな? by K. Hattori


 殺人犯アーリーを演じたブラッド・ピットもいいけれど、その恋人アデールを演じたジュリエット・ルイスがとにかく良かった。ブラッド・ピットもがんばっているけど、彼が持っている少年ぽい雰囲気は、衝動的に人を殺してしまうアーリーという男とオーバーラップしきれない部分があったと思う。比べてジュリエット・ルイスはすごい。彼女はこの後10年ぐらい、この映画のアデールをこえる役に巡り会えないんじゃないだろうか。そう思わせるぐらい、彼女はこの役柄にはまっていた。ブラッド・ピットのいない『カリフォルニア』は想像できても、ジュリエット・ルイスのいない『カリフォルニア』は想像できない。(もっとも、この映画の重苦しい雰囲気を救っているのがブラッド・ピットであることも疑いようがない。彼以外の俳優がアーリーを演じたら、陰惨で目も当てられない映画になっただろう。)

 映画はその内容にもかかわらず、なかなかサスペンスの味を出そうとしない。どこかのどかでお気楽。これはブラッド・ピットという俳優の資質もあるだろうが、ジュリエット・ルイス演じるアデールの存在も大きい。物語の前半はどこまでも平坦で、特に大きな盛り上がりもなく進んで行く。アーリーが大家を殺しても、それがサスペンスにならない。ガソリンスタンドで行きずりの男を殺しても、サスペンスにならない。いよいよ正体がばれてガソリンスタンドの店員を射殺しても、アーリーがブライアンとキャリーの夫婦を拘束しても、まだサスペンスは盛り上がらない。なぜなら、アデールがこの時点ではまだアーリーを信じているから。どこかで物事を平穏で穏健なレベルに維持しようとするから。「私はアーリーが殺すところを見ていない。アーリーもやっていないって言ってる。だからアーリーはやってない」。アーリーを信じようとするアデールの望みは、彼が二人の警官を彼女の目の前で射殺したことでもろく崩れる。ここから映画の雰囲気は一変し、俄然サスペンスの味が出てくるようになる。

 とにもかくにもアデール。不幸で孤独で自信がなくて、サボテンに話しかける女の子。(ああ、サボテン。最後に押し入った家で、老婦人の前のテーブルにおずおずと小さなサボテンの鉢を置くアデールには涙が出そうになった。)彼女が頼れる人間は、アーリーだけなんだ。彼がどんな人間であっても、彼の中にあるほんの小さな優しさにすがって彼女は生きている。そうしないと生きられない。アーリーは結局彼女を裏切ることになるんだけど、アデールにとってこのカリフォルニアへの旅は、きっとすごく幸福だったと思う。街道沿いのモーテルで男達を見送った後、「カリフォルニアに行っても私たち4人で暮らせないかしら」とキャリーに言う彼女の幸せそうな表情。頼りがいのない、紙のように薄い幸福。それが幻想だとしても、それが裏側に恐ろしい悪夢を秘めているものだとしても、彼女は手に入れたちっぽけな幸福に身をゆだねて生きている。はかないなぁ、切ないなぁ……。

 僕はアーリーとアデールの関係を見ていて、フェリーニの『道』に出てくるザンパノとジェルソミーナの関係を連想したんですが、そう考えた人って他にいないのかしら。いずれにせよこのアデールという少女は、観客の心の中にいつまでも消えない印象を残すはず。ジュリエット・ルイスは『インディアン・ランナー』のパトリシア・アークエット以来の衝撃でした。


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