サラフィナ

1993/07/11
政治的な脚本は政治体制が変わればその命を失う。
ネルソン・マンデラの釈放でこの映画の命は尽きた。by K. Hattori



 なんだか不完全燃焼。それどころか思いっきり物足りない。南アのアパルトヘイトが終わって、この作品のメッセージの矛先が鈍っているからかも知れないが、問題はそれだけではない。ミュージカルシーンのつまらなさは一体何なのだ。オープンロケによる屋外でのダンスシーンには、他にも撮りようがあると思う。

 ネルソン・マンデラの釈放とそれに象徴される解放と自由を待ち望むというテーマは、既に古いものになってしまっている。(だからと言って黒人たちが本当に自由になったわけではないということが、映画の最後に告げられるのだが……。)少なくとも今『サラフィナ』というミュージカルを映画にするのであれば、舞台の上で繰り広げられた歌と踊り、そしてそれが生み出した感動をどれだけフィルムの上に定着できるかが勝負だと思うのだが、それが達成できたかどうかは疑問だと思う。

 舞台ミュージカル『サラフィナ』を観ていないので両者を比較しながら論ずることは僕にはできないのだが、やたらと動き回るカメラはダンスのダイナミックな動きを殺していたとしか思えない。「主の祈り」や「もうすぐ自由がやってくる」と歌い踊る高校生たちの周囲で、ぼんやりと突っ立ったまま声援を送る群衆はなんなのか。彼らにもダンスに参加してほしかった。音楽の使い方もひどい。どうにも歯切れが悪く、メリハリがない作品だ。主演のレレティ・クマロはいいが、ウーピー・ゴールドバーグはどう見てもアメリカ人。ミスキャストだろう。

 劇場という閉ざされた空間から、実際の南アフリカへと舞台を移したのが失敗だったのかも知れない。南アフリカの広大な風景の前で、高校生たちの反乱はあまりにもちっぽけに見えてしまう。



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