月光の夏

1993/06/29 シャンゼリゼ
特攻機で敵艦に体当たりする学徒兵たちの真実。
観ていてどうしようもなく涙が流れた。by K. Hattori



 僕が太平洋戦争中に行われた特攻作戦について知ったのは、小学生の時だったと思う。「神風特別攻撃隊」という何やら物々しいネーミングと、爆弾を抱えた飛行機がそのまま敵の艦船に体当たりするという悲壮な行動に、僕はちょっとドキドキし血が騒いだ。たったひとりの人間が命をなげうって敵に大損害を与えるなんて、何だかすごく勇ましく、かっこよく感じられたのかもしれないが、ともかく僕はしばらく熱に浮かされたように特攻隊に夢中になったものだ。当時の僕は2歳年長の上級生がひどく大人に見えるほどに幼く、特攻隊で出撃したパイロット達の年令など想像もできないほど遠く離れたものだった。歳を取るにつれて、僕は段々と特攻隊のことを考えなくなった。そして多分、高校生になる頃にはすっかり思いだすこともなくなってしまった。

 映画『月光の夏』を観て僕は泣いた。「特攻隊」という言葉のひびきに胸をときめかせた小学生に大人としか見えなかった特攻隊員たちは、まだ二十歳前後のガキでしかなかった。映画の中の特攻隊員たちの年令を、僕はもう何年も前に通り過ぎている。映画に登場する特攻隊長は出撃したパイロット中最年長の25歳。音楽の道に進むことを戦争で阻まれ、出撃前日にどうしてもと小学校のピアノを借りるふたりの隊員は23歳。以下18歳と17歳の隊員が続く。

 終戦間際の日本は、苦し紛れにこうした少年たちまで飛行機に押し込み、敵艦に体当たりすることを強要した。しかし多くの特攻機は待ち受ける敵の戦闘機や艦船の機銃掃射に会い、目的を遂げる前に撃墜される。映画にはアメリカ軍が撮影した特攻機の映像が挿入されているが、敵艦の前で海に墜落したり、ばらばらに解体しながらきりもみ状態で墜落して行く飛行機の一機一機全てに日本人の若者が乗っていたことを思うと、僕は胸を押し潰されるような気がする。

 今年は学徒出陣から50年にあたるという。



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