オルドス警察日記

2013/10/22 TOHOシネマズ六本木ヒルズ(スクリーン4)
実在したひとりの英雄を通して背後の乱世を描く社会派作品。
中国社会の抱えた問題点が見えてくる。by K. Hattori

tiff26  中国内モンゴル自治区のオルドス市で、ひとりの警官の葬儀が行われる。彼の名はハオ・ワンチョン。仲間の警官、死の有力者、政治家をはじめ、多くの人たちに見送られる彼の葬儀では、まだ幼さの残る息子の読み上げた弔辞が人々の涙を誘った。それから間もなく、ひとりのジャーナリストが市の関係者に呼び出される。「あなたの手でハオ局長の伝記を書いていただきたい。この英雄を讃えて多くの人に知ってもらいたいのだ」と仕事を依頼されたジャーナリストは、憮然とした表情で答える。「わたしは英雄など信じない。わたしは自分で取材をして、知り得たことをありのままに書くつもりだ」。こうしてジャーナリストによる、ハオ局長の取材が始まるのだった……。

 映画の構成は『市民ケーン』(1941)をなぞっている。主人公になるひとりの男が死に、その生涯をジャーナリストが取材しはじめる。彼が出会った事件の現場に出向き、関わりのある人々から話を聞く。そのたびに、映画は回想シーンとなって生前のハオ局長の姿を描いていく。だがこの映画が『市民ケーン』と異なるのは、主人公のハオ局長がやはり英雄だったことだ。もちろん彼にも、人間らしい欠点もあれば弱点もある。だが彼は汚れた仕事をしていないし、誠心誠意人々のために尽くす誠実さの塊のような男なのだ。取材すればするほど、主人公の正体がわからなくなっていく『市民ケーン』のようなスリルはない。しかしその一方で、何が彼をそこまで突き動かすのかという謎も少しずつ浮かび上がってくる。『市民ケーン』における「バラのつぼみ」だ。

 映画の中ではハオ・ワンチョンにおける「バラのつぼみ」を、彼が新米警官になった直後に起きた未解決の一家惨殺事件に置いている。幼い女の子までがむごたらしく殺された凄惨な事件。ハオ局長はこれ以降、どんな事件を担当してもこの事件が頭から離れない。映画後半、この事件の同一犯らしき男を追って、警官たちが正月返上で現地に向かう場面には迫力がある。警官の仕事を優先するか、それとも家族との団らんを取るか。警官としては優秀でも、家庭人としてはまったく落第だった主人公の「偏り」を、これほど端的に示したエピソードはないだろう。何しろこのエピソードの中では、人殺しの凶悪犯は故郷で大晦日と正月を過ごしているのに、主人公は家族を放置して仕事しているのだから……。

 映画は現代中国が生み出した「英雄」を描いているせいか、本国では特に検閲で修正の指示などはなかったという。しかし人々が英雄を欲するのは、世が乱れているからだ。「乱世の英雄」は「乱世」なしには出現しない。この映画は現代社会の英雄を描くことで、その背後にある現代中国社会の乱れを描いている。急激な経済発展で生じた都市と地方の格差問題は、内モンゴルのような場所でも深刻になっている。この映画からは、現代中国の抱えた暗部や矛盾が透けて見えてくる。

(原題:警察日记 To Live and Die in Ordos)

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第26回東京国際映画祭 コンペティション
配給:未定
2013年|1時間53分|中国|カラー|2.35:1|ステレオ
関連ホームページ:http://tiff.yahoo.co.jp/2013/jp/lineup/works.php?id=C0006
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
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