黒いスーツを着た男

2013/07/31 京橋テアトル試写室
深夜のひき逃げ事故からはじまる罪と償いの物語。
ジャンル定義が難しいが面白い映画。by K. Hattori

13073102  「アラン・ドロンの再来とフランスメディアが絶賛! ラファエル・ペルソナーズ日本初上陸」というのがこの映画のキャッチコピーなのだが、これじゃどんな映画なのかよくわからない。しかし映画のセールスポイントが作りにくい映画であることも確かで、こういうコピーになってしまっている点に映画会社の苦労が見えてくる。つまらない映画ではないし、十分に面白いのだが、「○○みたいな映画」と一言では表現できない作品なのだ。それは類似する前例があまり思いつかないという点でこの映画の新しさなのかもしれないが、それが映画の売りになるかどうかはまた別の話なのだ。

 大きなジャンルとしては、倒叙型ミステリーになるのだろうか。映画の冒頭で一件の交通事故が起きる。人をはねた車はそのまま逃げてしまうが、映画を観ている人はその一部始終を目撃し、事故の加害者が誰なのかを知っている。ところが映画はここから、犯人探しのミステリーにならないのだ。この映画では物語の中にほとんど警察が介入してこないし、事故の目撃者が犯人を突きとめても犯人が告発されることはない。倒叙型ミステリー風に始まった物語は、ここでジャンルとしての落ち着き場所を見失ってしまう。物語が迷走し始めるわけではない。映画は「犯人の逮捕」という以外の着地点を求めて、ここから急展開して行くのだ。

 映画の中心になるのは3人の男女。事故を起こした自動車ディーラーの男、偶然事故を目撃した若い女、被害者の妻であるモルドヴァ人の女だ。彼らは弱さもずるさも持つ普通の人間だが、決して悪人ではない。この映画の中には明確に悪人と呼べる人がいない。ディーラーの社長は商売に関してはかなりやり手で悪辣とも言える人物だが、その一方で娘を溺愛し、将来の義理の息子に一定の思いやりを示す人物でもある。だが誰も悪人がいないとしても、この世界に「悪」が生まれてしまう。そしてその「悪」によって、普通の人間の中にある弱さや狡さが「悪」に見えてくることもある。主人公たちは自らが悪の側に引き込まれていくことに抗いながら、目の前にある「悪」に対してどう誠実に向き合うべきかを考える。

 こうした映画のテーマが浮かび上がってくると、この映画でなぜ警察が大きな役目を果たせないのかも自然にわかってくる。この映画は「犯人が警察に捕まる=事件の解決」「犯人が逮捕されて刑務所に行く=罪の償い」という犯罪映画の方程式を、物語の中から取り払ってしまったのだ。我々は犯罪に関するニュースを見ていても、映画やドラマを見ていても、犯人が警察に捕まることが事件の解決だと思ってはいないだろうか。犯人が捕まった瞬間に、その事件を終わってしまった過去の出来事だと考えていないだろうか。だがこれは外部にいる赤の他人の思い込みに過ぎない。事件の当事者たちにとって、犯人逮捕は何の解決にも終わりにもならないのだろう。

(原題:Trois mondes)

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8月31日公開予定 ヒューマントラストシネマ渋谷
配給:セテラ・インターナショナル 宣伝協力:テレザ
2012年|1時間41分|フランス、モルドヴァ|カラー|スコープ
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