天心

2013/07/24 ショウゲート試写室
今年が生誕150年・没後100年になる岡倉天心の伝記映画。
横山大観の視点から恩師天心を描く。by K. Hattori

13072401  明治に入って急速に西欧文明を吸収しようとした日本人は、日本固有の文化や芸術を「近代化を阻む障害」と考えた。廃仏毀釈運動で日本各地の仏教芸術は打ち捨てられ、海外に二束三文で売り飛ばされた。これを危惧して日本美術を保護しようと尽力したのが、アメリカ人のアーネスト・フェノロサだ。岡倉天心はフェノロサの助手として日本美術と接点を持つようになり、やがて東京美術学校(現在の東京藝術大学)の創設に関わり、多くの学生たちを教えた。だが彼の熱心な日本美術擁護の姿勢は周囲との軋轢を生み、やがて彼は自分の作った学校から追放されてしまう。この時、同校で教鞭を執っていたかつての教え子たちも学校に辞表を提出。彼らは新たな活動拠点として日本美術院を創設し、天心が茨城県五浦(いづら)海岸に別荘を構えたのに合わせて、美術院の活動も五浦での創作活動が中心になる。

 映画『天心』は岡倉天心と弟子たちが、五浦海岸で新しい日本画を生み出そうと苦心惨憺する様子を描いた物語だ。天心を演じているのは竹中直人。その一番弟子とも言える横山大観に中村獅童。菱田春草に平山浩行。下村観山に木下ほうか。木村武山に橋本一郎。物語は横山大観が1937年に文化勲章を受賞し、新聞記者がインタビュー取材に来るところから始まるマヅルカ形式。ただしこの脚本は構成にいびつなところがあって、物語の語り手は大観のはずなのに、映画の前半は岡倉天心の視点で進行していく。こうした語りの視点のズレは『プライベート・ライアン』にもあったが、あの映画では「語り」と「視点」のずれがもう少し合理的に説明されていたし(必ずしもインタビューや回想談という形式を取っていない)、視点のずれそのものが観客をミスリードして驚かせるための伏線になっていた。でも『天心』にそうした意図はなさそうだ。これはただ単に、視点の設定が不徹底だというだけの話なのだ。

 映画の後半は物語の主役が天心本人から、その弟子たちに寄っていく。しかしそこで中心になるのは大観ではなく、画業で新境地を開きながら、わずか36歳で亡くなった菱田春草だ。映画では大観の五浦での生活を「30年」と紹介しているが、大観たちが五浦にやって来たのは1906年で、春草が病気療養のため東京に戻ったのは1908年。要するにこの映画の中の時間は、この2年間がほとんどすべてなのだ。映画ではこのあたりの時間経過がわかりづらい。というよりむしろ、この時間経過をもう少し長い時間に見せようとしている。

 天心の伝記映画としても、大観の伝記映画としても、春草の伝記映画としても、中途半端な内容に思えて仕方がない。だが急激に近代化して行く日本の中で、西洋画に負けない近大日本画を生み出そうとした人たちのドラマとしてはよくできている。映画が中途半端になっているのは予算の制約だろうが、その中で作品の制作シーンなどは贅沢に作られている。

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10月 MOVIXつくばほか茨木先行公開
11月 シネマート新宿ほか全国順次公開
配給・宣伝:マジックアワー
2013年|2時間2分|日本|カラー|ビスタ|5.1ch
関連ホームページ:http://eiga-tenshin.com/official/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
主題歌「亜細亜の空」収録CD:WHITE CANVAS(石井竜也)
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