少年は残酷な弓を射る

2012/05/14 シネマート六本木(スクリーン3)
息子の起こした事件で何もかも失った母の物語。
ティルダ・スウィントンが好演。by K. Hattori

Shonen_zankoku  ライオネル・シュライバーの同名小説をもとにした、ミステリーとサスペンスのスパイスをたっぷりまぶしたホームドラマ。監督・脚本はリン・ラムジー。ティルダ・スウィントン演じる女性作家が、ひとりの家庭的な男性と結婚し、二人の子供に恵まれ、社会的な成功も収めながら、ある日それらのすべてを失ってしまう。それどころか家にはペンキをかけられ、町では突然平手打ちを食らい、スーパーでも他の客から嫌がらせを受ける日々。いったい彼女の身に何が起きたのか? 彼女はいったい何をしたというのか? 映画は現在彼女が置かれている過酷な状況を丁寧に描きながら、彼女がここに至るまでの日々をひもといてゆく。そこに現れるのは一人息子のケヴィン。彼こそ彼女自身が生み出し、その手で育て上げたモンスターだった。

 映画の中でケヴィンが最終的に引き起こす事件はとんでもないものなのだが、その前に家の中で起きる数々の出来事は、子育てをしている人なら多かれ少なかれ思い当たる節があるものではなかろうか。赤ん坊がいつまでたっても泣きやまない。寝付きが悪い。子供の相手をしているうちに母親が寝不足になってしまう。あやしても笑わない。言葉の発達が遅い。おむつがなかなか取れない。言うことを聞かない。反抗的な態度を取る。どれを取っても、「そんなことはどんな子供にもあるよ」「そんなに細かく心配することないのに」と言いたくなるような些細なことばかり。しかし初めて子供が生まれたヒロインには、それがいちいちひどく深刻なことに思えてしまう。彼女は自分の子供の中に、母である自分に対する敵意と憎悪を見る。

 この映画でヒロインの夫を演じたジョン・C・ライリーは、この映画のほとんどはヒロインの主観的な回想であって、現実は彼女の記憶の中で歪められていると指摘する。ケヴィンが彼女に向ける敵意や憎悪は、彼女自身がケヴィンの中に投影している敵意と憎悪でもあるのだ。もともと作家として世界各地を飛び回っていた彼女は、ケヴィンの誕生によって家に縛られる生活を強いられることになる。言葉の発育が遅れ、おむつもなかなか取れない息子は、いつまでたっても自分に自由な時間を返してくれない。彼女はことあるごとに「この子が悪いのだ」「この子さえいなければいいのに」と考えるわけだが、こうした気持ちを母親らしからぬものだとか、そう考えること自体が母親失格だなどと言うつもりはまったくない。むしろ僕はこの映画が、母親になった女性の正直な気持ちを描いているとに好感を持つぐらいなのだ。

 子供が成長して大事件を起こすかどうかは別の話として、子供を持つことでこの映画のヒロインと同じような気持ちに追い込まれている人は多いと思う。僕などは「子供を保育園に預けて母親は働きに出るべし!」と思うのだが、それが許されないのは日本も海外も同じということか……。

(原題:We Need to Talk About Kevin)

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6月30日公開予定 TOHOシネマズシャンテ
配給:クロックワークス
2011年|1時間52分|イギリス|カラー|シネマスコープ|Dolby SRD
関連ホームページ:http://shonen-yumi.com/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
原作洋書:We Need to Talk About Kevin (Lionel Shriver)
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