ミツコ感覚

2011/11/09 ショウゲート試写室
東京郊外で二人暮らしをする若い姉妹の不穏な日常。
生々しく、リアルで、しかもシュール。by K. Hattori

Mitsuko_kankaku  写真専門学校に通うミツコは、休日に近所の河川敷で写真を撮っている時、奇妙な男から声をかけられる。三浦と名乗るその男は、人相風体からして怪しさ全開。写真雑誌の編集者だと名乗るが、それがその場しのぎの嘘だと見え透いている。ところがたまたま近くを通りかかった姉エミは、三浦の顔をどこかで見たことがあると言い出す。三浦はすかさず中学の同級生だと名乗るのだが、ミツコから見ればそれも見え透いた嘘だ。これをきっかけに、三浦はミツコとエミの姉妹につきまとうようになる。

 CMディレクターとして数々の作品に携わり、脚本・演出をつとめる演劇ユニット「城山羊の会」の主催者でもある山内ケンジの長編映画初監督作品。物語はミツコとエミの姉妹を中心に、再婚した父親と姉妹の関係、姉エミと不倫相手の関係、妹ミツコの就職問題や恋人との関係など、基本的には「家族の問題」を描くホームドラマだ。ただしここに、家族とはまったく無関係な謎の男・三浦とその姉と称する人物がからんで来ることから、映画全体に不穏で不気味な空気が漂ってくる。この三浦の位置づけはかなり特殊だ。物語の狂言回しではないし、トリックスターとして物語を引っかき回して行くわけでもない。まったく無関係な所から現れて、物語に直接からんでくることなく、それでいて異様な存在感で映画全体を支配してしまう。

 完全に「得体の知れない赤の他人」である三浦は、しかしこの映画を象徴する人物でもある。我々がよく知っていると思っている隣人や家族は、じつのところすべて「得体の知れない赤の他人」であるかもしれない。ミツコとエミにとって、最も身近な関係にありながら最も「得体の知れない他人」と化しているのは父親だ。映画の中にはほとんど登場しないこの父親が、じつはこの物語を動かす力になっている。父親が事業の資金繰りに窮して姉妹の住んでいる自宅を売ろうとしなければ、姉妹の行動はもっと穏やかなものになっていた可能性もあるだろう。姉妹を後戻りできない切羽詰まった状態に追いやっているのは父親であり、この父親を姉妹は決して理解せず、許すこともない。この父に比べれば、正体不明の三浦姉弟など気心の知れた友人のようなものである。

 出演者たちが繰り出す丁々発止の台詞の応酬が面白いのだが、これは小劇団の舞台劇のノリとスピード感だ。室内での会話が多い映画でありながら、火花散る台詞のやりとりが異様なまでのライブ感を生み出している。映画の台詞としては冗長な繰り返しが多いのだが、それを短時間に何度も繰り返すことで世界が別次元のものに変貌して行く様子にはドキドキしてしまう。舞台劇のニオイが強く感じられる作品だが、映画的な場面も多い。主人公の姉妹が夜中にビニル袋をぶら下げ、川の浅瀬をどこまでも歩いて行くシーンは心に残る。山内ケンジ監督の次回作に、僕は今から期待している。

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12月17日公開予定 テアトル新宿
配給:ギークピクチュアズ 宣伝:アルシネテラン
2011年|1時間46分|日本|カラー|アメリカンビスタ|DTSステレオ
関連ホームページ:http://mitsukokankaku.jp/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
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