ラビット・ホール

2011/10/13 京橋テアトル試写室
幼い息子を事故で失った夫婦を癒しがたい悲しみが包む。
悲しくても辛くても、人は生きる。by K. Hattori

Rabbithole  郊外の閑静な住宅街に住むコーベット夫妻は、8ヶ月前に4歳の息子を事故で亡くした痛手から立ち直れない。生活は一見もとに戻ったようにも見えるが、夫のハウイーと妻ベッカの関係もギクシャクしたままだ。事故のことを忘れ、子供のことを忘れ、すべてが無かったことのように振る舞うことで、日常を取り戻そうとするベッカ。彼女は家の中に残る子供の痕跡を、毎日少しずつ消し去ることで日常に戻ろうとする。子供の書いた絵を捨て、子供の服やオモチャを捨て、家の中に残る子供の落書きや汚れを拭き取ってしまう。身の回りに子供の気配が見えることに、彼女は耐えられない。できるだけそれを遠ざけることで、子供を思い出すことを避けたいのだ。一方で夫のハウイーは、そんなベッカの態度を苦々しく思っている。夫婦はどちらも子供を深く愛していた。だが子供を失った苦しみの受け入れ方の違いが、夫婦ふたりの間に深い溝を作って行くことになる……。

 主演はニコール・キッドマンとアーロン・エッカートで、キッドマンは本作でプロデューサーも兼務している。プロデュース作品は『イン・ザ・カット』(2003)の先例があるが、製作と主演を兼ねた作品は今回が初めてだ。ピューリッツァー賞を受賞したデヴィッド・リンゼイ=アベアーの同名戯曲を原作者自身が映画用に脚色し、『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』(2001)のジョン・キャメロン・ミッチェルが監督している。原作は舞台劇だが、仕上がった映画は時間的・空間的な広がりもあって、舞台劇の匂いを感じさせない。これは原作者自身が、舞台作品と映画が持つ表現の違いを十分に意識して、キャラクターやエピソードを掘り下げていった結果だと思う。

 主人公のコーベット夫妻はどちらも共感できる人物として描かれ、悲しみを受け入れようともがくふたりのうち、どちらの方法が正しくてどちらが間違っていると一概に言えるものではないと思う。ヒロインのベッカが高校生の少年を追いかけ回すシーンは、キッドマンが主演した『誘う女』(1995)を思い出してハラハラしてしまうのだが、これもまた彼女なりの癒やしのプロセスなのだろう。「死んだ子供が天使になるなんて馬鹿馬鹿しい。神様は全知全能なんだから、天使が必要なら自分で創ればいいのに」と毒づく彼女は、誰かを恨んだり怒ったりしているわけではないのだ。彼女は周囲には理解されにくい、一番困難な方法で目の前の苦しみを乗り越えようとしている。

 子供を亡くした夫婦は苦しむ。世間には最初から子供がいない夫婦だって大勢いるのに、既にあったものを喪失するという体験は心に大きな傷を残し、夫婦関係の継続を困難にしてしまう。コーベット夫妻がこの困難を乗り越えられるのか、それは誰にもわからない。しかし夫婦が手を取り合って共に未来への一歩を踏み出そうとするラストシーンには、胸が締め付けられそうになる。

(原題:Rabbit Hole)

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11月5日公開予定 TOHOシネマズ シャンテ、ヒューマントラストシネマ渋谷
配給:ロングライド 宣伝:メゾン
2010年|1時間32分|アメリカ|カラー|1:1.85|ドルビーデジタル
関連ホームページ:http://www.rabbit-hole.jp/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:ラビット・ホール
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