UNDERWATER LOVE

おんなの河童

2011/08/24 映画美学校試写室
高校の時に死んだ同級生がなぜか河童に生まれ変わった!
日仏合作のピンク・ミュージカル映画。by K. Hattori

Underwaterlove  一面に蓮沼が広がる田舎町。水産加工場で働く明日香は、港で河童を見かけてびっくり。しかもその河童は、今から17年前に沼で水死した同級生・哲也の生まれ変わりだった。河童の哲也は明日香に付きまとい、とうとう工場にまで押しかけて一緒に働くことになる。いったいはぜ今になって、哲也は明日香の前に現れたのか。なぜ哲也は明日香にまとわりついて離れようとしないのか。そこには哲也だけが知っている、ある重大な秘密が隠されているのだった……。

 いまおかしんじ監督脚本による、日独合作のピンク・ミュージカル映画。撮影監督は、ウォン・カーウァイ監督とのコンビで1990年代の映画ファンを熱狂させたクリストファー・ドイル。ベルリン出身のデュオグループ、ステレオ・トータルが音楽を担当し、劇中でたどたどしい日本語の歌を披露している。国際的な布陣で作られている映画ではあるが、内容は超低予算の超B級作品。河童のメイクはくちばしの下に人間の口が見えているし、頭の皿も、背中の甲羅も、いかにも作り物ぽくて、どこをどう見ても河童ではなく、「河童の紛争をした人間」にしか見えない。しかしそれを登場人物たちが「本物の河童」と見なしているのが映画のマジック。作り事の河童を本物だと言い張る虚構の上に、ミュージカル場面もあれば、死神もあるのだ。この河童が許せれば、他のすべてが許せてしまう。この映画はそういう仕組みになっている。

 ミュージカル映画におけるミュージカル場面は、本来なら観客がその場面に没入して、映画と一体化するためのもの。だからこそミュージカル映画の中では、「一曲歌って一緒に踊ればもう恋人同士!」のような無茶が通るのだ。ミュージカル場面は観客を強引につかまえて映画に引き込み、思うがままに作り手の望むところに連れて行く。ところが本作のミュージカル場面は、それとはまったく異質のものだ。劇中でミュージカル場面がはじまるたびに、観客は映画と一体化するのではなく、むしろ映画から疎外される。映画の中で踊り狂う人々は、自己完結型の乱舞の中に没入し、観客を歌と踊りの輪の中には加えてくれないのだ。この映画におけるミュージカル場面は、観客を置き去りにしたまま劇中人物の中だけで勝手に盛り上がる。これが映画に強烈な異化効果を生み出すことになり、観客は否応なしに現実に引き戻されてしまう。またこの映画のミュージカル場面は、物語の流れを飛躍させたり加速させたりすることがない。音楽が始まって人々が踊り始めると、そこで物語は静止してしまうのだ。

 かなり風変わりな映画ではあるのだが、僕はこの映画を面白がり、最後はちょっと感動した。虚構を突き抜けてその向こうにある何かしらの実体に迫るという映画の約束事が、この映画でもきちんと機能しているのだ。永久に失われてしまった「初恋」についての純粋な想いに、思わず胸が熱くなるのであった。

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10月8日公開予定 ポレポレ東中野、ユーロスペース
配給・宣伝:SPOTTED PRODUCTIONS
2011年|1時間26分|日本、ドイツ|カラー|1.85:1
関連ホームページ:http://uwl-kappa.com/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:UNDERWATER LOVE おんなの河童
サントラCD:UNDERWATER LOVE-おんなの河童-
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